2014年最初のブログは、石巻で続ける「仮設きずな新聞」の話題から。
仮設住宅に暮らす方々への生活情報や心のケアを目的に、2011年10月から開始した支援活動です。もっと暮らしに密着した記事を掲載できる新聞、地域の方々と「一緒につくる新聞」を目指すため、昨年6月に新たな編集・配布体制に切り替え、今日まで続けてきています。読み返してみると、仮設住宅での暮らしが始まってからのこれまでの様子が見えてきます。
毎月10日と25日の月2回発刊、今週で第65号の発刊を迎えました!
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このブログをご覧くださっている皆さんは、「震災から2年半以上が経ち、津波被害を受けた東北沿岸部もそろそろ“復興”した」とは考えていないはずです。“復興”という言葉を定義するのは難しいですが、少なくとも仮設住宅などの「仮」の文字が生活に残っているうちは、生活環境のハード面だけ見ても“復興した”とは呼べないんだろうと思います。
石巻市で建設された仮設住宅は、全部で134団地。次の公的な支援として、災害復興公営住宅の建設・応募受付、一部では入居も始まっていますが、まだ完成目処が立たない部分もあります。もちろん、それぞれの事情で先に転居するケースもあります。転居で空いた住宅にも、これまで損壊がありつつも自宅に暮らしていた方や民間借り上げ住宅(みなし仮設)に暮らしていた方が新しく入居することもあります。
「仮設住宅の数は少し減ってきていたのでは?」という質問の答えは、まだ「NO」です。解体された団地は一つだけ。いまだに133団地が残り、6,600世帯15,000人ほどが仮設住宅に暮らしています。また、「仮設団地のコミュニティも形成されてきたのでは?」という質問の答えは、「半分YES、半分NO」。特に、上記のように新しく入居した方にとっては、そこは知り合いもおらず、土地勘もない場所だったりします。
「仮設きずな新聞」に掲載する記事は、ずっと同じ仮設住宅での暮らしを続ける人、新しく入居してきた人のどちらにとっても有益な情報でありたいと思っています。また、同じような内容でも、目にした時の環境や気持ちによって受け取り方が違うこともあるので、あえて繰り返し掲載した記事もあります。そういう意味で、新しいニュースを伝えることを求められるマスコミの新聞とは違うんだと思います。
限られた紙面で何を伝えるべきか?-記事内容を決める編集は頭を使う作業です。だからこそ、時間がかかっても違う視点を持つ人で集まって議論する方が良い。PBVで始めた「仮設きずな新聞」の編集会議も、今では7団体に増えました。
編集会議の様子(メンバーはPBV以外に、石巻仮設住宅自治連合推進会、石巻専修大学 復興共創研究センター、キャンナス東北、震災こころのケア・ネットワークみやぎ、街づくりまんぼう、復興大学)
今週発行の第65号。ダウンロード(1.82MB)は コチラ
配達ボランティアの募集には、企業の社員ボランティアや高校の生徒たちが参加してくれることもあります。PBVのボランティアではなく、仮設住宅に暮らす方々が自ら配達してくれる団地も15以上に増えました。仮設団地の近くに住む地域住民の方が配達を申し出てくれるケースもあります。「一緒につくる新聞」が、少しずつ形になってきました。
浦和学院高校野球部の生徒たちと(2013年12月に配達ボランティアに参加)
配達に行くと、様々な出会いがあります。全号大切に保管して繰り返し読んでくださっていたり、「待ってたのよ」とお宅にお邪魔させていただいたりなども嬉しい出会いもたくさんあります。睡眠不足や鬱、アルコール依存などの健康面での不安や同居者の介護などの課題とも出会います。記事だけではカバーできていないと感じることもあります。そこに、「直接届け、会話する」配達の役割があります。
そして、配達を経験したボランティアには、現場に居なくてもできることがあります。2日間の配達活動を終えたボランティアの振り返り会で大事にしているのは、次に引き継ぐべき経験の共有とともに、「これから何ができるか」を考え、発表してもらうこと。
「仮設きずな新聞」は、仮設住宅に暮らす人々のための新聞。「いつか終わること」を望むべき性格のものかもしれません。まだその日は近くありませんが、一人でも多くの人に関わってもらい、経験や出会いを増やしていくことで、未来の新しいプロジェクトのきっかけづくりになればと思っています。興味のある皆さん、石巻で待ってます!
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