災害につよい社会をみんなでつくるお互いさまサポーター
「まさか、こんなことになるなんて」
被災地でよく耳にする言葉です。
いつ、どこで、どんな災害が起こるのか、
全てを予測することはとても難しいです。
わたしも、あなたも
被災者になる可能性があります。
「支援をすること」と「支援をうけること」
は巡っていきます。
いま被災地で厳しい状況にある方をサポートし、もしも、あなたが被災した時に支援の手を差し伸べてくれる社会を育てます。
今日のあなたの支援が、
今と未来の災害を一緒に乗り越える力になります。

2020年7月豪雨、2019年東日本台風、2018年西日本豪雨…。日本では、台風や豪雨による水害が多発し毎年増加傾向にあります。今後、気候変動により気象災害は頻度を増し、激しくなっていくと予想されています。
そして、近い将来必ず起こる大震災。南海トラフ地震では、最悪の場合17万人以上、首都直下地震では2万人以上の方が亡くなると予測されています。首都直下地震は30年以内に70-80%の確率で起こるだろうと言われています。日本に限らず、地球で生活を営むわたしたちは、災害と切っても切り離せない関係にあります。
さらに新型コロナウイルス感染症が猛威をふるい、コロナ禍での自然災害という新たな複合災害にも、わたしたちは立ち向かう必要がでてきました。
大切な人や住んでいる家を失ったとき。
職場や地域のつながりを閉ざされたとき。
わたし個人で、あなたの家族だけで、その地域のみでこの厳しい状況を乗り越えることは困難になります。

夜中、布団が湿っている感じがして目が覚めました。すぐに小学生の子どもを起こして、おばあちゃんの部屋に行きました。みるみるうちに水が上がってきて、二階に逃げるのがやっとでした。二階の部屋で子どもを抱えていた私の腰のあたりまで水がきて、そこで止まりました。真っ暗な部屋の中で水に浸かりながら、夜を明かしました。
翌日、明るくなってからようやく救助されました。二階から外に出てみると目を疑いました。二階建て以上の屋根が見えているだけで、一面、湖のように街が飲み込まれていました。あんなに広い一級河川が氾濫して、ここまで水があがってくるなんて思いもよりませんでした。
ずぶ濡れのまま、家族三人で避難所に身を寄せました。数週間は、支給されるおにぎりやパン、お弁当をもらいました。支援団体の方が作った温かい食事を初めて口にしたとき、突然、家やすべての家財を失ったことを実感して、自然と涙が出てきました。子どもを不安にさせたくないと思い、口が無理に笑おうとしていました。今思うと、きっと引きつった顔をしていたかもしれませんね。
水が引いてから自宅に戻ってみると、泥が積もり泥だらけの家具が散乱していて、とても住める状態ではありませんでした。体力的にも疲れがたまり、張り詰めた緊張と不安ですっかり心は折れそうでした。
ボランティアの方たちが、家の清掃にはいってくださり、少しずつ片付けてくれました。一緒に何日も泥まみれになりながら、大変な作業だったと思います。ときには、子どもが大切にしていたおもちゃも見つけて綺麗に洗ってくれました。汚れが落とされていく家を見ながら、もしかしたら、またここに住むことができるかもしれないと思えるようになりました。これまであまり実感したことが無かったのですが、「多くの人に支えられているな」と思える瞬間でした。

「東京の人には来てほしくない」
「自分たちだけでどうにかするよ」
そう言っていた球磨村で出会ったあの人は、ただ不安な声をもらし、家族を守りたかっただけだと思います。
新型コロナウイルス感染症。未知のウイルスによって人々の生活スタイルは激変しました。
そんな中で起こった2020年7月の豪雨災害。PBVが現地支援に入った熊本県球磨村では「戦後最大の洪水」とも言われ、10m以上も河川が増水浸水し、25名の尊い命が奪われました。村民3400人のうち半数以上が避難生活を余儀なくされました。
県をまたぐ往来が自粛されるなか熊本県と球磨村の要請を受けて、PBVは避難所支援を開始しました。どの被災地でも、災害を生き延びた先の避難生活で命を落としてしまう「災害関連死」が大きな課題となっています。
長く辛いだけの避難生活ではなく、時に楽しさも感じ、少しでもこの場所を温かみのある家だと思ってほしい。
そんな想いから感染症対策を徹底し、住民とのコミュニケーションを丁寧に重ねながら、健康を維持し、過ごしやすく安心できる環境を作っていきました。
被災後の焦燥や新型コロナによる不安・緊張感もあり、当初はピリピリしたムードもありましたが、しだいに私たちのことを信頼してくれた住民のみなさんとたわいもない会話をすることも増え、徐々により良い避難生活を共に築いていく活気も生まれていきました。
避難所開設から約4か月後に閉所を迎え、住民のみなさんは仮設住宅などで新しい生活を始めています。退所のときに見せた「楽しかった」という笑顔や、仮の生活や今後の暮らしへの不安な表情、「さみしい...」という涙を私たちは決して忘れません。
自然災害を前に、失ったモノを全て取り戻すことはできません。それでも、助け・助けられての人との繋がりで、ともに前を向いて歩んでいく勇気や希望を抱くことはできます。
ピースボート災害支援センター
活動実績
お互いさまサポーター 申込
サポータープラン



- ご寄付は、ピースボート災害支援センター(PBV)の災害支援活動全般に活用させていただきます。
お互いさまサポーターの
仲間たち

いまは被災地のボランティアに関わることがなかなか難しい状況なので、現場に行けなくてもできることを考えていました。支え合うPBVのサポーターのあり方が、もっと広がっていく、社会になればいいなと思います。

その後、少しでも恩返しができればと思い、西日本豪雨が発生したときに初めて災害ボランティアに参加しました。被災者の気持ちを分かっているつもりでも、それぞれの災害に違いがあり、災害ボランティアの現場は、私にとって心の中で「ありがとう」を伝える場でもありました。
「日本のどこにいても、いつ災害に襲われてもおかしくない」という被災経験からの想いとともに、何か出来る事があればと思い、PBVのサポーターになることにしました。