佐賀県大町町での出会いのインタビューシリーズ第4弾は、ご自身が被災されながらも役場職員として、住民のために尽力している灰塚重則さんです。
2年前の九州北部豪雨では、ご自宅は床下の基礎には浸水しない程度ですみましたが、今回の豪雨では床上2センチまで浸水しました。発災翌日の8月15日の10時ごろに家に戻ったときは、冠水した道路にはまだひざ下くらいまで水がありましたが、なんとか家まで帰ることができました。床下収納をあけると水がたまっており、家屋復旧作業の技術支援を依頼して機械を設置し、水を吸い上げてもらいました。現在も2台のダクトファンが回っています。
2年前の災害では重油被害もひどかったので、役場の職員も含め、住民さんもわたわたと対応に追われていました。ですが、今回は皆さんどこか落ち着いているのが印象的だそうです。役場職員もどこか落ち着いており、淡々と対応しているような雰囲気だそうです。2年前の被災からの復旧が全て終わっていない中での2回目の被災で、疲れや不安があるのかもしれません。
また、2度目の被災ということで、気持ちが落ち込み、心の折れている住民さんも多くいます。そんな中で、「支援の取りこぼしがあるのではないか?」と自分に問う瞬間もあります。
2年前は重油被害もあったので、一面の田んぼもほとんどがダメになってしまいました。2年かけてようやく土壌に稲を植えることができるようになったタイミングで、2回目の水害が発生しました。まだ穂をつけていなかったので、稲自体は大丈夫でしたが、中には3000万円以上する農業機械が1度使っただけで浸水してしまった方もいます。水害によって農機具が壊れてしまった農家さんも多く、「もうすぐ稲刈りの時期にどうしたものか」と頭を悩ませています。
コロナ禍ということもあり、今回は在宅で避難をしている住民さんが多いのが特徴です。避難所と比べて住民さんと直接顔を合わせる機会も少なく、なかなか住民さんの被災状況や困りごとといった情報集約が難しいという現状でした。だからこそ、2年前の教訓も生かして、いち早く地域の支援交流拠点を開き、住民さんに物資を届けるために動いていてきました。おかげで発災から10日前後で3地域で拠点を開くことができ、住民さんのよりどころになっています。
これまでの繋がりから早い段階から外部支援者が入ることができたおかげで、すぐにボランティアが住民さんのお家に訪問することもできています。2年前に作業をしてくれたボランティアに再会した住民さんは、涙を流しながら喜んでいたそうです。その後から徐々に住民さんも笑顔を見せるようになってくれました。
大町町以外でも毎年災害が発生していますが、2年しか経たない折に同じ町で再び水害が起き本当に困っていました。そんな時に2年前に入ってくれた支援団体から再び声をかけてもらったことに「他の被災地も大変だろうし、コロナ禍なのに、連絡をもらったときはうれしかった」と、灰塚さんは笑顔を見せてくれました。
灰塚さん自身、できるだけ町の中に出かけるように心がけています。自分にとっても役場にいるだけだと役場だけの業務になってしまいます。応援職員さんに物資を届けてもらうこともできますが、それだけだと繋がりがないので、物を渡すだけになってしまいます。だからこそ、自分から現場に出向き、直接住民さんと話すことでニーズを知り、子育て支援のニーズであれば直接対応することもできます。長年町のために尽力してこられた灰塚さんだからこそ話してくれる住民さんも大勢いらっしゃいます。
2年前の災害のあとに「受援力」という言葉がよく聞かれるようになりましたが、受け取る側の体力も必要だと言います。それは行政だけではなく、住民さん自身も同様です。例えば、今回の災害では「ボランティアが来てくれると思っていた」と口にした住民さんも多かったようで、声を上げなくても大丈夫だろうと思ってしまっていました。町に受け入れる体制が整っていても、住民さん自身の受け入れる力がないと支援に繋げることができません。今後はより住民さんに困りごとの声を上げてもらうように工夫していかないといけません。
大きな水害が多発している大町町で、今後職員として今の支援はこれでいいのかと自問自答している日々が続いています。これからもさらに町民のほうを向いて支援を続けて行く必要があると考えています。
灰塚さんは、通りかかれば誰にでも挨拶ができる住み慣れた大町町がだいすきだそうです。そんな田舎ならではのコミュニティが、これからも大町町で残ってくれればと思っています。もはや「災害が起こるのが当たり前」だと感じる大町町で、1人でも多くの命が救えるように今後も活動を続けていきます。