2024年1月1日におきた能登半島地震、同年9月21日に再び襲った豪雨災害。二度の大きな困難に直面した石川県珠洲市において、ピースボート災害支援センター(PBV)は発災直後から現地に常駐し、支援活動を続けてきました。
この珠洲での常駐支援は、2025年10月末をもってひとつの大きな節目を迎えました。現在は拠点を東京へと移し、現地のニーズに合わせて、必要に応じた支援を届ける新しいフェーズへと移行しています。
PBVが展開してきた活動は、単なる「物資の提供」に留まらない、地域に深く根ざした歩みとなりました。私たちが珠洲で何を大切にし、変化するフェーズに合わせて伴走し、どのような未来を託してきたのか。その活動の舞台裏をご報告します。
能登半島地震発災前の絆がつないだ緊急支援
PBVと珠洲市の繋がりは、2023年5月5日に発生した2023年奥能登地震に遡ります。当時、珠洲で2ヶ月半常駐し、珠洲市災害ボランティアセンター(災害VC)運営支援に携わり、家屋保全や生活サポートを通じて、珠洲市役所や珠洲市社会福祉協議会(社協)の皆さんなど、ともに支援に関わる現地の方々と顔の見える関係を築いていました。
珠洲市内でも少しずつ日常を取り戻しつつあった日々は、新しい年の幕開けと共に一変します。2024年1月1日。再び、震度6強の地震が発生。発災からわずか20分後、PBV大塩の携帯が鳴り、甚大な被害が生じていることを確認しました。発災からわずか20分後、PBV大塩の携帯が鳴り、甚大な被害が生じていることを確認しました。すぐに準備を進め、翌1月2日には先遣調査のため、支援物資や資機材を積んだ車両で、奥能登へと向かいました。能登半島に差し掛かると、地面の亀裂・陥没、土砂崩れ、家屋の倒壊など、8か月前の景色とは異なる景色が広がっており、迅速な支援の必要性を強く感じました。


緊急支援:命をつなぐ炊き出しから、地域に根差した「仕事」へ
現地入りして目にしたのは甚大な被害でした。命をつなぐために何より急務だったのは「食」の支援でした。行政や社協、避難所には全国から食事支援の申し出が殺到していましたが、現場では「どこに何人避難をしていて、何が必要か」という情報が不足し、支援の偏りが生じていました。食の現状把握と炊き出し調整を迅速かつ円滑にすすめるためには、支援調整窓口が必要でした。そこで、市からの依頼を受けて、PBVは、過去の経験を活かし「炊き出しの調整(マッチング)」を一手に引き受けました。
怒涛の日々の中、炊き出し支援の問い合わせ窓口を設置し、当初は電話一本で支援者からの炊き出しの問い合わせ、受付、マッチングを実施。2月にはGoogleフォームを活用した受付システムを整備し、市内90か所以上の避難所へ継続的に食の支援を繋げました。
並行して、PBVでも炊き出し提供を開始。キッチンカー「FOOBAR(フーバー)」やテントでの調理からスタートしました。


その後、珠洲市社協のご厚意により、被災したデイケアセンターを炊き出し調理、宿泊拠点としてお借りできることになり、炊き出しは、セントラルキッチン方式で実施できるようになりました。これにより、食数、配布先を増やし、安定した食の提供ができるようになりました。備え付けの厨房を活用し毎日200食以上の調理を行いながら、避難所、福祉施設、学校給食などへ、あたたかい食事を届けました。
温かい食を届けると同時に、避難されている方の困りごとを丁寧に聞き取り、埋もれがちなニーズ、必要な支援を可視化していきました。
水道の復旧、物流・商店の再開など、民業の回復とともに、支援の体制も変化し、住民の方々が自らの手で「生活」を取り戻す過程を支えていきました。
また、安定的な食事提供を確立できるよう、珠洲市と連携し、店舗を被災された地元のシェフたちの協力を得て、市の調理室でお弁当を作り避難所へ届ける仕組みのサポートもしました。「災害救助法」の柔軟な運用により炊き出しに使用する材料費等を公費で賄えるようになったため、復興に向けた「仕事」として、地元飲食店が持続できる形としての体制を整えました。また、災害救助法の対象となる炊き出し支援団体へ、制度活用についての情報共有を実施しました。

コミュニティ支援:背中を押し、心を解きほぐす場所
食の支援と並行し、大切にしてきたのがコミュニティ支援です。 お茶を飲みながらの何気ないおしゃべりは、溜まった不安やストレスを軽減し、気持ちを切り替える大切な場となります。家族や近所同士などでは気を遣って話しづらいことも、外部支援のボランティアという「少し遠い存在」だからこそ打ち明けられることがあります。 「話すことで心が軽くなった」。そう語る住民さんの表情が明るく変わっていく姿は、私たちの支えとなりました。
コミュニティ支援は、2024年2月から定期的に実施。毎週曜日を決めて、場を設置し顔を合わせることで、「気軽に話せる関係」を作れるよう心掛けました。
また、PBVスタッフだけでなく、毎週珠洲市社協の「ささえ愛センター」や総合病院の先生など、地元の支援者と合同でお茶会を実施。健康体操や健康相談などを行いました。他にも、たくさんの企業、支援者の方のご協力をいただき、楽しいイベント、心温まる交流の場を提供することができました。
ボランティアとして参加した方々にとっても、この場は大きな意味を持っていました。最初は住民さんに「どう話しかけたらいいのか、何を話せばいいのか」と緊張していたボランティアも、住民さんの生の声に触れる中で、人と人が繋がることの尊さを実感していきました。 ここで出会った縁を大切に持ち帰り、遠くから思いを寄せ続けてくれる。そんな「支援の循環」が、復興を支える力になっています。
活動の最終目標は、私たち支援者が去った後もその集いの場が続いていくことです。珠洲市の中でも被害が大きかった大谷地区をはじめ各所での支援は、「ささえ愛センター」や住民有志の方々へ少しずつ引き継ぎ、現在は地元の方々で継続しています。

伴走支援:技術系ニーズのコーディネート
避難生活が長引く中、住民は「被災した我が家の片付け」という大きな壁に直面します。
「何から手を付けていいか分からない」 「家が傾いてしまい入るのが怖い」 「大切な位牌やアルバムだけでも取り出したい」
そんな切実な声に応えるべく、PBVは珠洲市社協と連携し、「技術系ニーズ」のコーディネートに注力しました。能登半島地震では、多くの家屋が倒壊、地面が隆起による亀裂、段差、がけ崩れなど、甚大な被害を及ぼしました。そのため、住民からの困りごとの相談も多種多様で、どう対応するかなどの調整が必要になりました。そこで重要になるのが、活動に入る前の活動現場・作業の「見極め」です。
一般ボランティアが担う片付けや清掃、荷物運びの活動と、技術系NPOが行う屋根の防水シート張りや倒壊家屋内からの貴重品出しなどの作業を振り分けたり、安全に作業を実施できる体制を、災害VCスタッフと相談しながら築いていきます。PBVは過去の被災地で培った知見や、技術系NPO団体との繋がりを活かし、各団体の得意分野や資機材・重機、安全管理体制などを理解し、スムーズな支援に繋げられるように心がけました。

また、PBVでは、技術系NPOの撤退後も、技術系作業の講習を受けた地元有志が作業を引き継いで実施できるように、ジャパン・プラットフォーム(JPF)の助成を活用し、珠洲市社協へ活動に必要な資機材の寄贈を行いました。

今後の課題:技術系コーディネーター育成と三者連携の重要性を全国へ
今回の活動で改めて浮き彫りになったのが、行政・社協と連携をしながら技術系ニーズの調整をする「技術系コーディネーター」の必要性です。
能登半島地震・豪雨支援の検証として、PBVが事務局を務めるJVOAD技術系専門委員会が実施したアンケート結果からも、NPOによる技術系コーディネーターが設置された市町村の災害VCでは、技術ニーズ対応がスムーズに実施されたとの回答が得られました。
また、上記技術系ニーズのコーディネートを実施したNPO団体にて、「災害VC技術系ニーズ作業区分一覧」を作成しました。
技術系NPOが、どのような作業ができるのか、また、一般ボランティアと技術系NPOの活動のすみ分けなど、今まで曖昧だった部分を一覧としてまとめました。
⇒ 災害ボランティアセンター技術系ニーズ作業区分の公開
技術系コーディネーターは、行政・社協・NPOという三者の強みを理解していることはもちろん、被災された方の生活背景や心情に寄り添った関わり、現場活動知識、そして連携団体や行政、社協など多方面と円滑にやり取りをし、信頼を築き上げるコミュニケーション能力が求められます。
行政・社協・NPOの「三者連携」を機能させるのは、平時からの顔の見える関係です。「困ったときに気軽に相談できる」という信頼関係を地域に増やしていくことが、いざという時の迅速な支援、そして一人でも多くの命と生活を救うことに直結します。
PBVは今後も、連携団体、関係機関と情報共有をし、災害対応マニュアルの整備や人材育成を通じて、全国どこで災害が起きてもスムーズに専門的な支援が届く仕組みづくりを推進していきます。
最後になりましたが、珠洲市における支援活動を応援してくださった皆さま、共に汗を流してくれたボランティアの皆さまに、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
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