岡山県倉敷市真備町へ行ってきました。
豪雨から3年。現在の街の姿やPBVが行ってきた支援など、下記の内容を前後半に分けお伝えします。本ページでは前編をおおくりいたします。
【前編】
- ハード面、ソフト面双方から防災・減災対策が進む真備町のいま
- PBVが行った公民館へ備品支援、コミュニティの再生に向けて
【後編】(【後編】豪雨から3年が経った、倉敷市真備町へ行ってきました。)
- コロナ禍が阻むスムーズなコミュニティ再生
- 発災から3年、これからの課題:防災・減災啓発を河川敷から発信
ハード面、ソフト面双方から防災・減災対策が進む真備町のいま
真備町のハード面の対策
新倉敷駅から北へ車を走らせること20分弱。町の東西に大きく広がる小田川が見えてくると、その仮堤防の一部に「小田川付替え R5年完成予定」の文字が掲げられていました。西日本豪雨から3年が経つ倉敷市真備町では、堤防の決壊や越水等により甚大な被害をもたらした高梁川・小田川の合流地点の付替え工事や、周辺河川を含む堤防整備、洪水時の水位を下げるための河道掘削など、ハード面における防災・減災対策が進んでいました。
真備町のソフト面の対策
ハード面だけでなく、ソフト面での対策も徐々に進んできています。地区ごとに進展の速度は異なるものの、地区毎の地域リーダーの方々を中心として、水害被害の記録や復旧活動の歩みを記録冊子にまとめたり、地区防災計画の作成や自主防災組織体制の整備に着手し出しています。
記録冊子の制作に取り組んだ地区の一つである、川辺地区のまちづくり推進協議会の金信さんは、今回の水害を
「80年生きてきて初めての経験だった」
と振り返ります。
また、「自分にいつ起こるかわからないからこそ、自分が住んでいる地域の特徴を知り、過去にどんな災害があったかを学んでおくことは、とても大切だと思い知りました。水害の場合は、家の中の物は浸かってしまうけれど、避難さえしておけば命は助かるということをきちんと伝えたいです」
とも仰っていました。
PBVが行った公民館への備品支援、コミュニティの再生に向けて
PBVはこれまで、西日本豪雨の浸水被害がとくに大きかった倉敷市真備町において、公民館・分館への備品提供の支援を行ってきました。
真備町は、教育、交流、福祉、伝統文化の継承など、地区行事がとっても盛んな町でしたが、公民館が被災したことで住民同士が寄り合いや行事などを行える場所と環境が無くなってしまいました。そこでその環境をふたたび整えようにも、浸水してしまった備品は、各被災地区の自治会費などによって捻出し再購入しなければなりませんでした。
そのような状況を踏まえ、PBVは「ジャパンプラットフォーム」の助成金を活用させていただき、公的な資金でまかなうことができない物品を提供させていただきました。備品の選定や購入、搬入などは、真備町にて地域づくりを中心に各地区の運営に携わる、川辺、岡田、箭田、呉妹、服部地区の各まちづくり推進協議会と各地区社会福祉協議会の方々と協力して実施していきました。
提供させていただいた備品
昨年2021年12月末に真備町へ伺い、役員の方々にお会いしてきました。これまで提供させていただいた139品目の備品の活用状況や、発災後から現在までの変化などを伺いました。
必要性が高かった備品とは?
助成団体の協力のもと提供させていただいた、住民がすぐに集まることができるための備品は、とても大活躍したそうです。具体的には、会議テーブルやイスの他、寄り合いを呼びかけるためのチラシなどを作成するためのコピー機や輪転機、イベント時に必須のマイクやアンプといった音響機器などです。これらの備品は、住民が集まるためにも必要性が高いものの、高額のためすぐに地区で購入することが出来ないという難しさがありますが、地域住民の迅速なコミュニティ再建に欠かせないものでした。
その結果、地域のリーダーのみなさんを中心に、地域コミュニティの再建のための話合いや寄合いが設けられると、いつも以上に住民が集まり、気軽に会話ができる機会を喜び合ったそうです。
【後編】豪雨から3年が経った、倉敷市真備町へ行ってきました。へ続きます。