2021年8月豪雨災害【インタビュー・一期一会 ➁】「地域の防災力を」 〜地域おこし協力隊・公門寛稀さん~

佐賀県大町町での出会いのインタビューシリーズ第2弾は、大町町地域おこし協力隊の公門寛稀(くもん・ひろき)さんです。公門さんは去年の4月までPBVスタッフとして災害支援に関わっていました。現在は地域おこし協力隊として、大町町の復興に尽力しています。

公門さんの初めての被災地との関りは2015年3月、宮城県石巻市でした。当時、ピースボート地球一周の船旅に乗りたいと思っており、PBVが行っていた漁村体験の「イマココ、プロジェクト」(2019年9月末 受入終了)に参加すると船賃が安くなることを知り、石巻を訪れたそうです。何気なく行った石巻でたくさんの出会いを経験し、「実際に被災地に行くことってやっぱり大切だなあ」と感じました。

その後、2016年4月に熊本地震が発生しました。東京に住んでいた公門さんは、実家の佐賀に帰ろうと思っていたところでした。その時PBVスタッフから声をかけられ、現地スタッフとして熊本支援に関わりました。初めての災害支援だったので、やって欲しいと言われたことをひたすらやっていたそうです。その中で、住民さんとの出会いの面白さや、地域のことをどんどん知っていける楽しみを知りました。その後も、PBVスタッフとして災害支援に関わるようになりました。

さまざまな被災地へ支援に駆けつけましたが、一番印象に残っているのは2017年の台風21号で被害があった三重県玉城町での支援だそうです。当時玉城町では300~400世帯が床被害にあいましたが、より被害の大きかった福岡県朝倉市などに焦点があたり、小さな町の被害はなかなか報道されることがありませんでした。そのため、ボランティアの人数も足りず、本当に人手が足りない毎日を過ごしていました。この時が公門さんにとっての初めての水害対応となりました。

浸水した家屋の保全や修繕のための技術支援をしている風組関東の方々に技術を教えてもらい、床下に潜っては活動する日々が続きました。技術者もとにかく少なく、1人で何軒ものお家を抱えていたので、どんな作業をするにも1人で対応しなければいけませんでした。「過酷な日々だった」と当時を振り返って苦笑いを浮かべていましたが、床下を確認するのも、断熱材を撤去するのも、送風機を設置するのも自分の判断で行わなければいけないというのは、かなりのプレッシャーだったと思います。

玉城町は床下浸水の被害が多かったのですが、水害を経験していない住民にとっては、目に見えない場所の浸水なので、「床上浸水じゃないから大丈夫よ」と気にしていない方が多くいました。そこで、住民の皆さん一人ひとりとお話し、床下を見せてもらい断熱材を取らなければいけないことや、きちんと乾燥させないとカビが繁殖し健康被害に繋がってしまうことなどを丁寧に説明していきました。過酷だったけれど充実した日々を過ごし、「水害の基本は床下」ということを学びました。

災害が発生すると、本当にたくさんの業種の人が被災地に駆けつけます。こんなに多種多様な業界の人、バックグラウンドを持っている人たちと一緒に仕事ができるのはこの活動の特徴かもしれません。その人との繋がりは、公門さんが生きていく上での糧になっています。

さまざま出来事を経験して2020年4月にPBVを退職し、佐賀に戻ろうと思っていた矢先に、佐賀県の大町町から地域おこし協力隊の話があったそうです。災害支援をする中で、地域の防災支援に興味がわいていたので、今までの災害支援のノウハウを生かし、地域防災を学べるいいチャンスだと思い、2020年10月から地域おこし協力隊として大町町で働いています。

今回の災害で、恵比須地区の支援交流拠点となっているが「Peri.(ペリドット)」です。この施設は、公門さんを中心に、2年前に被災された住民さんが、役場には相談に行きづらい困りごとを、地域で相談して解決できるように作った場所です。また、地域のお母さんがゆっくり話す時間を作れるように、子どもの遊び場のスペースも作っていました。8月26日にオープン予定でしたが、14日の豪雨で被災してしまいました。被害状況は床上20cmで、子どもが遊ぶスペースの畳は全てだめになってしまいました。ですが、幸いなことに家財などの備品の搬入はまだだったので、被害は最小限に抑えられたそうです。

公門さんは、昨年の10月から大町町で活動をはじめて、2年前の九州北部豪雨でも被災した住民さんとも仲良くなってきたからこそ、「頑張ってきた姿を見ていたので、2度目の被災でしんどい顔を見るのはとても辛いです」と話してくれました。自然災害を予想することは難しい中で、今まで自分がやってきた防災の取り組みは意味があったのかなと自分に問う場面も少なくありませんでした。また再建に向けて長い日々を歩まないといけません。

一方で、1度被災を経験している役場職員の経験値の高さは驚くほどでした。共通認識として、何をやらなければいけないのか、何が優先順位が高いのかを理解しているので、スピード感があります。2年前の水害でも民間支援を受け入れてきましたが、その後、より連携を強化するために、2か月に1度NPOなどど会議を続けてきました。そのおかげで、民間支援がスムーズに大町町に入ることができ、発災から10日間で、下潟地区、恵比須地区、中島地区に支援交流拠点を設置することができました。また、住民も今回は早めに避難ができたおかげで、車の被害が圧倒的に少なくなりました。経験を経て、それぞれが素早く対応できるようになっています。

 

ただ、今回の水害でも逃げ遅れて救助された方はいらっしゃいます。全ての住民に防災意識が広がっているかと問われると、残念ながらそうではありません。今後、地域の防災力を上げて救助件数を0にしていくことが目標です。また、今回の水害で亡くなった人はいなかったので、今後、独居世帯、高齢世帯、生活保護世帯を中心に災害関連死が出ないように、役場や民間支援と連携していく必要があります。

2度の水害を経験した大町町ですが、「もう一度大町町に住みたいと思ってほしい」と公門さんは言います。2度の水害を経て、町外へ住民が引っ越すケースも少なくありません。コミュニティがある町に住み続けて欲しいからこそ、より地域の中で協力しながら災害対応ができるようにしていかなければいけません。2度の被災で支援を受け入れる体制は整いましたが、今回のようなコロナ禍だった場合、次の水害で外部支援がどれだけ来るかは分かりません。今回の水害で繋がった地元の支援者との繋がりを持ち続け、ノウハウを共有し、大町町での営みを続けていきます。