熊本地震から2年、スタッフインタビュー

2016年4月に発生した熊本地震から2年が経ちました。
PBVも東日本大震災をきっかけに災害支援の団体として設立し7年が経過しますが、広域の及ぶ地震への災害対応は熊本地震が2度目の経験となりました。現地に常駐し、約8ヶ月間に及ぶ直接支援を行いましたが、この熊本地震への被災地支援をきっかけにPBVと出会い、NPOで働くことを選んだ若者がいます。

今回は現在PBVスタッフとして活動している、そんな2人に話しを聞いてみました。

 

 

 

■熊本地震の発災当時、どこで何をしていましたか?

公門:

私の地元は佐賀県です。九州で地震なんて起きないとずっと思ってきました。
あの日はたまたま東京のテーマパークに遊びに来ていました。宿泊先のテレビで熊本地震の事を知った時は、すぐに理解できず実感が湧きませんでした。しかし、ただ事ではないと感じ慌てて家族や友人に連絡を取り、みんなの無事が確認できた時にホッとしたのを覚えています。

大島:

地震のちょうど3ヶ月前にギニア人の夫と国際結婚をし、その後の大変な書類手続きを終え、ふっと一息ついている時の出来事でした。メディアから流れる熊本地震の被害状況を見ながら、夫と日本の災害について会話をしていたら、彼が「避難場所を知らない」と言ったのです。熊本の方の安否を祈る一方、これからの家族や防災のことを考え直すきかっけともなりました。

 

 

■災害支援に関わったきっかけは何ですか?
  また熊本地震では、どのような活動参加しましたか?

公門:
初めて被災地という場所に関わったのは、2015年に宮城県石巻市に一週間の漁村留学に参加したことでした。そこで出会った漁師さんが「災害は多くを奪ったが、多くの出会いも与えてくれた」と語ってくれました。被災地にいくことをずっと躊躇していた自分にとっては、何も出来ない自分でも行くことで出会った人の役に立てるのだと思わせてくれました。
あの時に言葉を思い出して、熊本地震のボランティアに応募しました。活動は主に食事支援のリーダーをさせていただき、野菜たっぷりの温かい食事を避難者のみなさんに届けました。

大島:
日々流れる報道を見て、自分にも何かできることがあるならと思っていました。具体的に行動に起こすきかっけとなったのは、既にボランティア活動に参加していた友人から電話をもらったことでした。「人手が必要だし、丁寧に説明もしてくれるから来たら足手まといになることはないよ」と言ってくれたことが大きかったです。現地では、食事支援で調理や配食を行ったり、別の日には家屋清掃なども行いました。

 

■熊本地震に関する活動で、最も印象に残っていることや今も大切にしていることを教えてください。

公門:
熊本に行くまでは、ボランティアの「ボ」の字も知らない状態でした。何も知らないなかで、被災された住民とどう接すればよいのかとても悩みました。悩みつつ活動を続けていたある日、避難所の喫煙所で一人のおばあちゃんと出会いました。顔は知っていたものの話したことはありませんでした。「いい天気ですね」と、話しかけてみるととても気さくに楽しく会話をすることができました。勝手に気難しく捉えていたのは自分の方で、支援者と被災者という形ではなく、人と人で接すれば良いのだと、身構えることがなくなりました。今でもこの気持ちを思い出しながら、相手にとってもフラットな関係でいられるように接することを大切にしています。

大島:
清掃活動に入ったお宅の住民さんが、「被災してしまったことは、滅入る事もいっぱいあったけど。私たちを想って、こうやって全国から沢山のボランティアたちが毎日駆け付けてくれることに、とても励まされ、前向きになれます」と伝えてくださったことが印象に残っています。
私は「人」が好きなので、清掃活動といっても効率よく片づけをするだけではなく、住民さんとのコミュニケーションを大切に活動しています。お互いにとって出会いの一つ一つが温かい時間になれるよう心がけています。

 

■PBVのスタッフとして、現在の担当は何ですか?

公門:
PBVでは、平時から様々な団体と関係を築き、災害時によりスムーズな支援が行なえるよう準備しています。私は今、6月12日、13日に全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD)主催で行われる、「災害時の連携を考える全国フォーラム」の企画調整などの準備全般を事務局として担当しています。たくさんの方々がより良いつながりを持てる場にできるよう頑張ります。また、緊急時には直接支援に入ることが多いので、様々な方に現場でお世話になることもあるかもしれません。

大島:
現在は主に、防災・減災教育事業に携わり、PBVにくる講師依頼に関わる事務全般を担当しています。
私の前職は自衛官です。最後に所属した航空自衛隊松島基地は、東日本大震災の際、津波によって基地機能を失いました。当時、災害派遣の仕事に従事する中、ご家族を失った方々から「(災害に関する知識を)知っていたら、助かったのかもしれない」、そんな言葉を何度も耳にしました。この「知っていれば助かったかも」という遺族を減らしたくて、私は自分に伝えられる事は全て伝えたいと防災教育に関わっています。

 

■最後にお二人から、PBVを通して災害支援活動を応援してくださる皆さんへメッセージをお願いします。

公門:
災害支援活動を行なっていると、本当にボランティアの力が必要だと感じます。自分だけの力には限界があり、出来ることを諦めざるえない場合もありました。私自身、企業で働いていたので、休日を使いボランティアに参加することの難しさはよく分かります。また、現地に行けなくても思いを寄せることがどんなに被災地の方々の力になるかを肌で感じてきました。

PBVの活動は、サポート会員や寄付・助成金といった財政面を支えてくださる個人や団体の皆さんや現地に駆けつけてくださるボランティアの皆さんの思いひとつ一つがカタチとなっていきます。最近では地震も頻繁に発生していますし、夏には毎年各地で風水害が発生しています。少しでも被害軽減をするためには、迅速な緊急対応が必要です。これからもご支援ご協力のほどよろしくお願いします。

▼PBVの活動を通して、被災地・被災者支援ご協力ください。
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大島:
いつもご支援いただきありがとうございます。皆さんから託していただいた想いに誠実に活動することで恩返をしたいと日々の活動に向き合っています。
私は企業や自衛隊、NPOなど様々な場所での勤務経験を得て、災害時には各セクターがそれぞれの特技・特性を活かした支援を行う役割分担がとても重要だと感じました。そのためには平時からの顔のつながりや学び、備えがとても大切です。
皆さんと一緒に、悲しみや苦しみを少しでも減らし、笑顔あふれる日々を暮らしていいきたいと思っています。こらからも共に歩んでいただけたら幸いです。

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