東日本大震災から7年、スタッフインタビュー

PBVの活動は、2011年の宮城県石巻市への支援から始まりました。当初は阪神・淡路大震災をはじめとする災害支援の経験、その他の国際協力の経験を持つNGOピースボートのスタッフが主な持ち場のコーディネーターを担っていました。

あれから7年近くが経過するなか、現在のPBVには新しいスタッフが加わり、顔ぶれも少し変わりました。
今回は、あえて2011年当時のコーディネーターではなく、その後のボランティアや防災・減災の取り組みのなかでPBVと出会い、現在スタッフとして活動している3人に話を聞きました。

 

 

 

 

■2011年3月11日の震災発生当時、どこで何をしていましたか? 

遠藤:
愛知県で働いていました。14時46分は、外出先で遅めの昼食中で、震度3ほどの揺れでした。その後、携帯のワンセグTVで大きな災害が起きたと知りました。

井上:
高校生2年生、学年末テストの終了日でした。テスト後に、母にiphoneを買ってもらう約束をしていて、一緒に神奈川県内のお店にいました。ちょうど携帯を預けたときに揺れて、全員でお店の外へ逃げたのを覚えています。

関根:
以前の職場(新宿区内)で働いていました。厳重なセキュリティがある地下倉庫内での作業だったので、大きな揺れで外に出られなくなるかもと不安になりました。

 

■災害支援に関わったきっかけは何ですか?また東日本大震災では、どのような活動に参加しましたか?

遠藤:
2011年3月に退職し、ちょうど時間を作ることができました。PBVがボランティアを募集していることを知り、友人とともに石巻市でのボランティアに参加しました。梅雨に入る頃で、避難所では布団が湿気を吸い、ダニやカビによる衛生問題が発生していました。でも、外は瓦礫によるホコリがひどく、布団を干すこともできません。医療関係のNPOとも協力し、「ダニバスターズ」というプロジェクトを担当させてもらいました。

井上:
高校生の私にも何かできることをと思い、当時は以前住んでいた福島県いわき市へ義援金を送りました。大学に入学してから、岩手県大槌町吉里吉里地区にボランティアに行くようになりました。幼い頃から転勤が多かった私には、4年間通った吉里吉里が今でも一番の故郷だと思っています。卒業してからも郷土芸能の団体に参加したり、仮設住宅に暮らす住民の方々と関わり続けています。もっと防災・減災にきちんと取り組みたいと、PBVの災害ボランティア・リーダートレーニングに参加し、インターンを経て、卒業後の昨年4月からスタッフとして活動しています。

関根:
まずは、東京にいてもその日からすぐに参加できる高田馬場のPBV事務局でボランティアを始めました。街頭募金やボランティア説明会の手伝いを通して、後方支援に携わったのがきっかけです。自分自身も何度か石巻市やほかの被災地のボランティアにも参加するようになりました。

 

■東日本大震災に関する活動で、最も印象に残っていることや今も大切にしていることを教えてください。

遠藤:
石巻市に長く滞在して活動を続けるうちに、ボランティアリーダーを任されるようになりました。長期化する避難生活や途方もない量の泥出作業を前に、諦めそうになったこともあります。ただ、1日200人以上のたくさんのボランティアが来てくれたことで、目の前の課題が一つずつ解決していきました。また、住民の方々から「活動してくれたことはもちろんだけど、わざわざ遠くから私たちのために想いを持って来てくれたという事実だけでもとっても嬉しくて元気が出ます」と言葉をかけてもらいました。この経験からも、実際にボランティアの活動中の姿を見てもらうことが心の復興に繋がるとも思うようになりました。

井上:
活動を通して地域の人と出会い、文化を知っていくことが楽しくて、そのひとつひとつが印象に残っています。吉里吉里の人から教わった「恩送り」という言葉は今でも大切にしています。誰かにしてもらった親切を直接その人に返すのではなく、別の人へ恩を送る。私もたくさんの恩をもらいました。いつか巡り巡って「誰か」に届くよう、私も恩を送り続けていきたいです。

関根:
東京で街頭募金をしている時に、石巻出身の方から「自分は今すぐには石巻に帰って手伝えないけれど、どうか役立ててほしい」と寄付をいただいたことが印象に残っています。その後も、緊急支援の募金を行っていると、その土地に縁のある方から声をかけていただくことが多々あります。ボランティアとして、スタッフとして被災地の現場での支援活動にも参加してきましたが、寄付を通じた応援などの後方支援も大切で、やりがいも感じています。

 

■PBVのスタッフとして、現在の担当は何ですか?

遠藤:
国内で災害が起きた際には、現地スタッフとして被災地に行きます。災害の種類や規模で支援の内容は毎回違いますが、ボランティアと被災された住民の方々をきちんと繋げるために、ボランティアの受け入れ体制づくりやコーディネーションを担当しています。

井上:
防災・減災教育を担当するチームの一員として、研修や講演の運営を行っています。また、小さい頃から身近に障がい者がいて手話を習ったりもしていましたが、「しんじゅく防災フェスタ」で災害時要配慮者のテーマを担当することになり、障がい当事者の方々とも一緒に活動しています。

関根:
防災グッズのSafety bank プロジェクトと、総務を担当しています。緊急支援のバックアップはもちろん、PBVの様々なプロジェクトが上手く進むように、事務局内の細々とした雑務もやっています。

 

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編集後記

今回は、東日本大震災での活動経験もある3名のスタッフをご紹介しましたが、2016年の熊本地震がきっかけにPBVに関わるようになったスタッフもいます。それぞれに経験や強み・弱みが違います。長く関わってきたスタッフも担当してきたプロジェクトや経験は別々です。2011年当時、また阪神・淡路大震災からの経験とノウハウを一つでも多く引き継ぎつつも、そこに新しい経験や価値観を加えた多様性のある組織づくりを目指して行きたいと思います。それが、私たちなりの風化を防ぐ取り組みでもあると思っています。

今回ご紹介できなかったスタッフはまた別の機会に、とは思っていますが、防災・減災教育の研修や報告会、交流会などのイベントも企画などにも参加しているので、ご都合が良ければぜひ直接会いにも来てくださると嬉しいです。
※東京では、3月21日(水)の夜、「ボランティアつながる会~3.11あの日あの時~」を予定しています。詳細は コチラ

 

私たちPBVの活動は、サポート会員や寄付・助成金といった財政面を支えてくださる個人や団体の皆様、同じように被災者支援や防災・減災に取り組むNPOや企業のネットワーク、ボランティアとして参加してくれた全国・世界中の仲間など、一つひとつのボランティアのバトンが受け継がれてきたことで成り立っています。そして何よりも被災地で生き残り、前に進むことを諦めずに、私たちの活動を受け入れてくださった住民の方々がいたおかげです。

 

人こそが人を支援できるということ-。

 

東日本大震災から受け継いだこのバトンは、
時間が経っても、参加するスタッフやボランティアが入れ替わったとしても、
絶やすことなく、未来に渡し続けていきたいと思います。

 

 

2018年3月11日

ピースボート災害ボランティアセンター
辛嶋友香里、合田茂広

 

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一人ひとりにできること。

東日本大震災をきっかけに設立したピースボート災害ボランティアセンター(PBV)と、
石巻・女川の地域振興に取り組むピースボートセンターいしのまき(PBI)
皆さんにもご参加いただける現在の活動の一覧をご紹介します。

●東北被災地を応援する
行って応援「石巻 視察・研修」
食べて応援「ほやほや学会」

●買って応援する
ボランティアマガジン全6冊『石巻通心』
冊子『石巻市民から学ぶ!!支援を活かす地域力』

●ボランティアをする
石巻で漁村留学「イマ、ココ プロジェクト。」
PBV東京事務局でのボランティア

●災害に備える・学ぶ
防災・減災教育 各種セミナー・ワークショップ
防災・減災グッズを備蓄する「Safety bank」

●寄付で応援する
福島の子どもたちを応援「ふくしま募金」
PBVの活動を継続して応援「サポート会員」