やっぱり輪島で暮らしていきます

こんにちは、ピースボート災害支援センター(PBV)の多賀です。

今回のメルマガは、能登半島の輪島を離れ、そしてまた輪島に戻る決断をした家族の紹介です。

==========

「輪島に行こうと思うんだ」

昨年のお盆過ぎ、突然夫からこう言われた澤田かをりさん。

2024年1月の能登半島地震で輪島の家が半壊したため、輪島を離れ夫の地元の福岡県糸島市に移住。新生活が落ち着いていた頃でした。

「やっといろいろな手続きを終えて一息ついていた頃でしたし、子どもたちも糸島での生活に慣れていたので、輪島に戻ることに正直迷いがありました。それにお風呂にも入れず、壁が崩れて、雨漏りしている自宅に戻ることに、なによりまた地震がきて壊れたらどうしようという恐怖も少なからずありました」 

大工を生業としているかをりさんの夫。
発災後の輪島でその力を生かして欲しいと地元の人たちから何度も声をかけられていました。

「輪島に親戚が多いこともあり、いろんな人に求められたこと。そして復旧に携わりたいという気持ちが夫にあったんだと思います」

住宅の不安を解消できないままでしたが、子どもたちも輪島に戻ることをすんなり快諾。
とにかく輪島に行こうとなった矢先、幸運にも仮設住宅に入れることになりました。


仮設住宅前で雪かき

「安心して過ごせる住居を確保できたので、すぐに輪島での生活を落ち着いてはじめることができました。ですが、子どもたちは以前住んでた輪島とはいえ、6つの小学校が1つに統合されているなど、ちょっとビックリしたみたいです。人数が多いので『子どもがたくさん!』と錯覚してしまいますが、6つが1つですから・・・。地震で校舎が使えなくなってしまったこともありますが、多くの子どもたちが市外に出たことを考えると寂しい気持ちです。

夫は既に仕事を開始していて、市内をあちこち回っています。
なんだかこれから輪島で仕事を続けることに、そして暮らしていくことにわくわくしているように見えますね。

私はというと、ご縁をいただきPBVに就職することになりました。
まさに今は『支援調整』を、今後は『コミュニティ形成支援』にスタッフとして輪島で携わっていく予定です。

地震から1年が経ちましたが『被災者』として思うことは、PBVに対してだけでなく、これまで支援をしてくださった多くの支援団体に、そして寄付をはじめご支援をお寄せいただいた皆さまに、本当に感謝の気持ちしかないということです。改めてご支援くださった皆さまに心より御礼申し上げます。

そして今後はというと、『復興を遂げた』と言えるまでは正直、まだまだ時間がかかると思います。

気軽に『輪島に遊びにおいで〜』と言える日を目指して。

PBVで活動を続けていきますので、今後もご関心をお寄せいただけますと幸いです」

輪島出身のPBVスタッフ澤田かをりさんの紹介でした。

発災直後の澤田さんの様子は過去のメルマガでご紹介しているので、ぜひこちらもご一読ください。
↓↓↓
大地震発生後、避難してから最も心強かったものとは? PBVメルマガ22号


能登半島地震発生から1年の支援をまとめた英語版のレポート「One Year Report on the Ishikawa Noto Earthquake」が完成しました。ぜひお近くの英語話者にお知らせください。

→read the report



ウクライナ出身のPBVのスタッフからのメッセージと、現在準備している医療支援事業を前後編に分けて紹介しています。ぜひご覧ください。

<前編>ウクライナへの大規模な攻撃開始から3年
<後編>ウクライナへの大規模な攻撃開始から3年

メルマガ見出し (1280 × 150 px) (3)blogFacebookxLineLine

メルマガのバックナンバーは こちら から

本メールをご覧いただき、ありがとうございました。
今後とも宜しくお願いいたします。

ピースボート災害支援センター(PBV)
メルマガ担当:多賀秀行

  • 本メルマガ は、これまでにPBVにメールアドレスをお知らせくださった方に配信しています。今後、配信を希望されない方は こちら からお手続きをお願いいたします。
  • パソコンの環境に依存して文字化けが起こる可能性のある文字は、メール配信ソフトにより変換される場合があります。ご了承くださいますようお願いいたします。