石巻からのお手紙 - 佐久間生子さん -

石巻市中央、料亭/懐石・春潮楼の女将・佐久間生子さんから「3・9レター」が届きました。長期間に渡って、PBVのボランティアの宿泊場所として2階の大広間を貸していただきました。活動を終えたボランティアを乗せ、東京に戻っていくバスの姿をいつも温かく見送ってくださいました。

毎朝、ここから出発して、泥んこになって帰ってくる。春潮楼が「我が家」で、佐久間さんを「お母さん」のように慕う人も数多くいることでしょう。震災から2年を迎えるに当たり、そんな皆さん宛にお預かりしたお手紙です。ぜひ、ご覧ください。

※「3・9レターキャンペーン」に届いたその他のお手紙は コチラ

 

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永遠の一瞬

 

自然の猛威で再開の目処も立たずに途方に暮れていた3 月11 日からひと月が過ぎた頃、ピースボートの方々とのご縁が始まりました。バタバタと入居の準備が進み、アッという間に完全装備した老若男女がテレビで伺い知る所の戦時中を思わせる姿で、一週間分の食料、着替え、寝袋、衛生、生活用品etc を背負いなだれ込んできました。

 

……そう!あの目にも彩かなピンク色の大型バスで……!!

右も左も泥とがれき。腰を降ろす事もままならない頃で、上下のヤッケとヘルメット、皆似たような長靴に防塵メガネとマスク姿。背格好と発する声で性別を判断するしか手立てもないあの頃。男女6~8 人がひとグループで活動されていましたね。

 

手に追えないがれきの山。一週間泥かきしても、なかなか床が見えなかったり、毎日毎日セトモノの片付けをしてもらったり……。リーダーの指示で見事に一日のスケジュールを手際良くこなし、疲れた顔も見ずに、グループごとに結束し、不安気な他人行儀な顔で来石したあの日が、一週間もしないうちに、充実感、達成感あふれた家族のようなひとつの空気となり顔が変わり、見送る日にはみんな別人と化していましたね。

聞けば驚く程の作業内容にも、避難している方々が疲れを忘れて喜んでもらえれば……と、いつも満面の笑顔でやりこなし、作業半ばで帰る事に責任を感じ、次の陣に託してやむなくバスに乗った方々、後ろ髪ひかれる思いで石巻を後にし、やり残した思いをたぐり寄せるように何度も来石される方々、そして石巻市民になった方々!!

 

千人を越す皆さんから沢山の元気を頂き、店の再開(もう暫くかかります)を念じた一人一人のエールを色紙に残し、再会を約束しました。あの時の一人一人の足跡が、復興の土台となり、点から線へ線から太い道へと築いて頂いた事は紛れもない事実です。

 

石巻での体験を生かし、国籍を越えたボランティアの種が蒔かれる事を祈らずにはいられません。

言葉が足りず温かいひと言をかけられなかったあの時の事。

お風呂に入る事も出きず、すごい異臭をはなったあの頃。

あの時だったから出きた事……。

あの時出会ったみんなのお蔭で笑顔でいられた事……。

 

共にした人生のひとコマを胸に刻んで石巻から出発し、今尚、石巻の地で活躍されている皆さん!お会いした事はありませんが、本部でご尽力されている皆さんに心から感謝をお伝えしたくペンを取りました。

誰かの為に、何かの為にと行動をおこして石巻に来てくださった皆さん!ありがとうございます。

 

石巻市中央  春潮楼 佐久間生子