【インタビュー連載②】コロナ禍の避難所支援~絶対にまた行きたい場所~

2020年7月豪雨で被災した熊本県球磨村。PBVでは8月16日から11月10日まで、球磨村の村外避難所である旧多良木高校避難所の支援を行ってきました。今回、コロナ禍で初めての災害対応となりました。球磨村での支援を振り返り、現地で活動したスタッフに話を聞きました。

インタビュー第2回目は、曽楨(ソテイ)さん。中国出身の彼女は、ジェニーの愛称で呼ばれています。照屋さんながらも、避難所運営を通して住民さんと仲良くなり、「熊本に住んでみたい!」とさえ思うようになりました。彼女が見て、感じた球磨村を紹介します。

 

 

ー初めて球磨村を訪れた時の印象を教えてください。
今まで被災地と呼ばれる場所に行ったことがなかったので、これが初めての経験でした。とても大変な災害だったと報道などを通して聞いてはいましたが、実際に訪れて、本当にとても人が住めるような状態ではないことに衝撃を受けました。球磨川の近くを車で走ったのですが、いくつもの橋が流されていて、被害の大きさを物語っていました。また、浸水した家屋を見たときは、「こんなところまで水がくるのか」と信じられない思いでした。

 

 

 

ー初めて避難所に行ったときに印象はどうでしたか?
そのときはとても緊張していて、正直あんまり覚えていないんです。ただ、私たちより先に避難所運営に入っていた長崎県の応援職員さんや生活をしている住民さんたちの邪魔にならないようにしようと、目の前の仕事を一生懸命やっていました。

ー避難所では具体的にどんな仕事をしていましたか?
朝と昼の食事の配膳担当をしていました。住民さんの栄養バランスを考え、温かい食事を炊き出しなどで提供したいところでしたが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、熊本県内も警戒レベルが上がり、コロナ禍での炊き出し提供は難しい時期が続きました。その後、温かいご飯や汁ものなどを少しづつ提供できるように工夫していきました。避難している住民さん自身も毎日配膳を手伝ってくださりとても助かりました。最初はなかなか話しかけることができなくて、名前も分からなかったので、どうしようかなと思っていましたが、日を重ねるうちに、住民さんのほうからも話しかけくださったり、毎日たわいもない会話をしながら楽しくできるようになりました。

 

 

 

ー今回の災害支援で大変だったことは何でしたか?
避難所支援をしているタイミングで台風10号が接近してきて、そのときは人生で初めて台風がこんなに怖いんだと思いました。東京に住んでいるときに台風の経験はありますが、そのときとは比べ物にならないくらいすごかったです。旧多良木高校避難所は周りに大きな建造物がないので、風の音もすごくて、避難所でまた災害が発生するかもと考えたときは不安でいっぱいでした。配膳も、いつも頼んでいるお弁当業者さんがこれなくなってしまって、急遽160名以上のレトルトカレーの非常食手配と準備にあたり、配膳場所の変更や停電した場合の電気の確保など様々な対応に追われました。実際、台風が通過するまでは何十回も停電して怖い思いもしましたが、運営者も避難者も関係なく、みなで協力して対応できたおかげで大きな被害もなく安心しました。

ーコロナ禍の支援で大変だったことはありましたか?
やはり消毒は当たり前だけれど大変でした。お弁当の受け渡しの前には必ず検温と消毒をしてもらい、配膳場所の手が触れるところは常に消毒を行っていました。住民さんは自分の居住スペースでお弁当を食べたり、食堂スペースで食べたりするのですが、そのスペースを毎回消毒するのはかなり大変でした。コロナ対策なので仕方ないですが、毎日忙しい中でやっているとなかなか重荷でした。あとは、日々マスクをしての作業だったのですが、当初は夏でとても暑くて、熱中症対策とコロナ対策というバランスの中、マスクをしての活動はとにかく大変でした。

ー衛生面を保つことはかなり大変そうでしたね。
そうですね。避難所として利用していた場所が閉校した高校だったということもあって、施設は広く部屋数も多いし、運営スタッフだけでは毎日掃き掃除や拭き掃除をするところまでは手がいき届きませんでした。それでも必要なところはこまめにやるようにはしていて、特に共有スペースは念入りに消毒や清掃を行っていました。運営側で全てを担うのではなく、避難所内の清掃も住民さん同士でもしてくださり、消毒ポイントなども掲示して共有し一緒に行うことで、避難所開設当初と閉所時では、だいぶ環境改善もなされ、住民さんの生活空間や衛生環境状態も変わり、整えていくことができたと思います。

 

 

 

ー避難所での印象的なエピソードなどはありますか?
いろんな音楽イベントしたことが印象的です。剣道場を整備して、大きなスクリーンを運んで、ナオト・インティライミさんにご協力いただいてオンラインライブを行ったり、DVD上映などもしました。住民さんにはものすごく好評だったのですが、このスクリーンがとにかく重たくて、住民さんたちと十人以上で剣道場に運び入れました。また、スタッフの一人に沖縄出身者がいたので、その繋がりから三線アーティストの方のオンラインライブも行いました。場所も毎回、会場を準備して行うのではなく、住民さんが近くの入浴施設に行くシャトルバスの待ち時間を利用して、何か楽しめることはないかとみんなでアイデアを出し合い、誰もが通る受付横にスペースを設けて、日中の時間帯に行うなど色々な層の方々が参加できるように工夫しました。沖縄の独特な音楽が住民さんを含め、スタッフの心も癒してくれました。

ージェニーさんは中国出身ですが、日本の災害時と中国で文化的な違いなどを感じたことはありましたか?
派遣が決まった当初は、新型コロナが蔓延している“東京”や外国籍の人が支援に来ることに、抵抗がある住民さんも中にはいるかもしれなと聞いていました。特に私のような外国籍の人には冷たく接する人がでてくるかもしれないと聞いていたの少し不安でしたが、全くそんなことはなく、中国出身の私にも皆さんは優しく接してくれました。
文化的な違いでいうと、中国の場合、被災して逃げ延びたら、命があるだけでよかったと、その後はあまり細かい支援をしない印象です。ですが、PBVでは一人一人の住民さんの要望や意見などに耳を傾けて、寄り添って支援をしていることが印象的でした。日本人は思いやりがあり、とても相手に気を遣えるんだと思います。

ー今後、この経験をどう生かしていきたいですか?
一番の教訓は、災害が起こる前に備えをする大切さを学んだことです。災害が起こってしまってからでは遅いこともあるので、日々の備えの大切さをもっと発信していけたらと思っています。

ージェニーさんにとって球磨村での出会いはどのようなものでしたか?
もともと違う部署で働いていたので、新型コロナがなければ、災害支援の現場には行かなかったと思います。新型コロナは様々なものを奪っていったけれど、そのおかげで繋がれた出逢いや絆もあって、全てが悪いわけじゃなかったと今になって思います。球磨村に訪れるまで、「球磨村」という町の名前すら知らなかったけれど、人は豊かで、自然は毎日見てても飽きなくて、食べ物は東京の物より何倍もおいしい素敵な場所だということを知りました。移住したいなと思うくらい素敵な場所で、桜が見られるようになったら、今回の派遣メンバーで住民さんに会いに行けたらいいなと思っています。私にとって、とても大切な場所になりました。

 

  

\12/18受付中/ PBV 2020年活動報告会 オンライン
各被災地担当スタッフが2020年のコロナ禍の災害対応を振り返ります。
【日時】 2020年12月18日(金)19:00~21:30
【会場】 オンライン開催(Zoomを使用)

 

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2020年7月豪雨災害 新型コロナウイルス×被災地 緊急支援募金