2020年7月豪雨で被災した熊本県球磨村。PBVでは8月16日から11月10日まで、球磨村の村外避難所である旧多良木高校避難所の支援を行ってきました。今回、コロナ禍で初めての災害対応となりました。球磨村での支援を振り返り、現地で活動したスタッフに話を聞きました。
インタビュー第1回目は、竹花博さん。「ろっしー」の愛称で親しまれ、避難所では「施設整備・環境衛生」の役割を主に担っていました。彼が見て、感じた球磨村への想いを聞きました。
ー実家が被災に遭われた経験があると聞きました
僕の実家は岩手県なのですが、2016年の台風10号で被災しました。そのとき僕は専門学生で、実家から車で2時間くらいの盛岡に住んでいました。8月30日頃だったと思いますが、その時は強い雨が降り続いていました。ですが、地元では大雨による災害を経験したことがなかったので、まさかこの雨で被災するなんて多くの人は思っていなかったと思います。実家は川沿いにあり、流されはしませんでしたが、1階は床から1m30cmくらいは浸水して、家電製品は全て壊れ、泥が入って泥まみれになりました。道路も壊れてしまって、一般車両も通れなくなってしまい、僕が実家に帰れたのは発災から1ヵ月後のことでした。
ーはじめて被災した家を見た時、どんな思いでしたか?
生まれ育った家の姿が全く変わってしまって、とても驚きました。僕が実家に行ったときはすでに1階の泥出しは終わっていましたが、こんな家を見たのは初めてだったので、「悲しい」というよりは「びっくり」という感情のほうが大きかった気がします。テレビで毎年のように台風被害の報道はあったけれども、まさかそれが自分の住んでいる家で起きるなんて想像もできなかったです。
ー実家が元に戻るにはどれくらいの時間がかかりましたか?
僕の家が元のように戻るまでにはだいたい1年くらいかかりました。しかし、それでも早かったほうだと思います。僕の身内に大工関係の人がいたので、そのおかげもあってなんとか1年で再建できましたが、他の家はもっと時間がかかっていました。1階が復旧するまでは2階で生活をしていて、普段の生活に必要なキッチン、トイレ、お風呂などを使うために、簡易的な修繕をして、なんとか使える状態にしていました。
ー今回の熊本支援に行こうと思ったきっかけは、実家の被災経験と関係がありますか?
家が被災したことによって、被災された方の気持ちを少しは理解できるんじゃないかと思いました。僕は後発で熊本支援に行ったのですが、派遣の話を聞いたのは9月2日で、9月8日には熊本へ向けて出発していました。すぐに行くことを決められたのは、家の被災のことがあったからだと思います。自分自身が被災地でどんなことができるのか不安もありましたが、これでやっと「被災地の役に立てるかもしれない!」と、思いました。
ー初めて球磨村に訪れたときの印象は?
球磨村に広がっていた景色は、自分が岩手で見た景色に似ているものがありました。一晩で多くのものを奪ってしまう自然災害の残酷さを改めて感じた瞬間でした。一方、避難所内の印象は、住民さんは思っていたより明るくて驚きました。。今回の災害では、家を流されてしまった方も多いと聞いていたので、もっとどんよりしているのかと思っていましたが、スタッフにも気さくに話してかけてくれました。きっととても悲しくて辛かったとは思いますが、僕たちには明るく接してくれていたのだと思います。
ー避難所では、どんな仕事していましたか?
「施設整備・環境衛生」と呼ばれる担当を担っていました。大まかにいうと、なんでも屋さんです。電球を付け替えたり、支援物資の仕分け、運搬など、避難所の設備や環境を整える仕事をしていました。
ーコロナ禍での支援で大変だったことはありましたか?
僕たちも住民さんの顔を覚えたいのですが、マスクをしているせいでなかなか顔を見る機会がなく、住民さんの顔と名前を覚えるのには苦労しました。それは住民さんも同じだったと思います。途中で、「マスクを外したらこんな顔です♪」というスタッフ紹介紙を作成して、お互いを覚えられるように距離を縮められるような工夫もしました。また、コロナ禍ということで、消毒液やウェットティッシュなどの支援物資は通常より多かったと思います。それらを避難所の各所において、いつでも消毒できるような状態にしていました。コロナ禍だからいつもよりも念入りに消毒を徹底していた部分はあると思います。
ー印象的な住民さんとのエピソードなどはありますか?
家が全て流されてしまった方、家は無事だったけれど、家に帰るまでの道が寸断していて、家に帰れないから避難所で生活をしている方など、住民さんの被害状況はさまざまでした。「他の人に比べると私はまだマシなほうだから」と、自分よりも大きな被害を受けた住民さんを気遣う場面に何度も遭遇しました。少なからず、自分も避難所で生活しなければいけないほどの被害に遭っているのに、他人のことを思いやれる優しさがここのコミュニティにはあることを強く感じました。
ー球磨村は竹花さんにとって、どのような場所になりましたか?
僕自身、これまで熊本に行ったこともなくて、この災害がなければ、「球磨村」という場所すら知らなかったと思います。2ヵ月しかいませんでしたが、自分の生まれ育った岩手の田舎と似ていて、とても過ごしやすい場所でした。ご飯もおいしかったし、近くの温泉も素敵でした。東京に帰るときに、僕たちの車が見えなくなるまで手を振ってくださった住民さんもいて、お互いに「さみしいなぁ」と思える関係になれたことを嬉しく思っています。また、球磨村の住民さんに会いに行きたいと思っています。
ー今回の災害支援の経験が今後どのように生かされていくと思いますか?
PBVが支援に入ることで、繋がれること、支援できることがあり、貴重な経験ができたと思っています。自分が何かをすることによって、相手の幸せに繋がるような場面に出会えると、それが巡り巡って自分の幸せに繋がると思いました。これからも相手に寄り添う気持ちを忘れずに仕事に取り組んでいきたいと思います。また、今回の災害支援の経験によって、遠い場所で起こっている大変な災害というような他人目線の認識がなくなった気がします。これからどこで災害が起こっても、自分事として捉え、そのときに自分ができる支援をしていきたいと思います。
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各被災地担当スタッフが2020年のコロナ禍の災害対応を振り返ります。
【日時】 2020年12月18日(金)19:00~21:30
【会場】 オンライン開催(Zoomを使用)
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2020年7月豪雨災害 新型コロナウイルス×被災地 緊急支援募金