【実施レポート】福島子どもプロジェクト2023夏休み@広島

「福島子どもプロジェクト2023」を実施しました

2011年からPBVと国際NGO ピースボートとが共同で続けている「福島子どもプロジェクト*」。震災と原発事故で被災した福島の子どもたちを対象としており、これまで100人をこえる中高生がピースボートが企画するクルーズやスタディツアーに参加し世界を旅してきました。

2020年より新型コロナウイルスの影響で休止していましたが、パートナー団体「南相馬こどものつばさ」からの希望を受けて、ついに再開。今年は昨年の実施同様、広島へのピーススタディーツアーという形で実施をします。題して「夏の広島を舞台に学び体感するピーススタディーツアー」。8月6日の「広島平和記念日」をふくむ4泊5日の行程で、福島・南相馬の中学生7名が広島を訪れ、たくさん遊び、たくさん学ぶ旅が実現しました。

*今年はパルシステム生活協同組合連合会の助成金を受けて実施しました。

※このレポートは、NGOピースボートの公式Facebookにて随時報告された内容を、抜粋してお届けしています。

 

1日目:8月3日「広島へ!」

初日は南相馬市の男山八幡神社で出発式後、空路で広島へ。7人中6人が生まれて初めての飛行機です。上空10,000mから見る景色はアルプスや明石海峡大橋などがジオラマを見ているようでとても楽しかったそう。

全員、広島を訪れるのは初めて。到着すると「福島より広島のほうが暑い~」「なんか都会な感じがする」と、思い思いの感想を抱いていました。

お昼には早速広島名物のお好み焼きと牡蠣を堪能し、午後は暑さに負けず、市内観光へ。広島城、そしてその隣の広島護國神社へ。広島城では刀のレプリカに触れたり、甲冑の試着をしたりという体験も。

夕方にゲストハウスにチェックインした後は、オリエンテーションと振り返りの会を行いました。この旅ではみんなで一緒に見たものを自分の言葉にしながら振り返ることを大切にしていきます。

 

2日目:8月4日「平和学習」

2日目は平和学習。1日かけて、原爆が落ちた広島で78年前に何があったのかを学びました。

最初に訪れたのは本川小学校。爆心地にもっとも近い学校として大きな被害を受けた場所です。展示された資料をみながら「原爆は地上で爆発したんですか?それとも空中ですか?」「なんで爆弾が爆発すると風が起こるんですか?どのくらいの風の強さなんですか?」「家も吹き飛ばされるくらいだったのに、なぜ爆心地近くの建物は残っているんですか?」などと、質問がいくつも出ました。

ガイドの伊藤さんと横山さんと合流して平和記念公園へ。最初に立ち寄った爆心地近くのお墓では、「原爆の熱線を浴びたところの石は溶けてざらざらになったけれど、横側はもともとつるつるなんだよ」と説明を受けながら、みんなで実際に墓石を触って原爆の威力を感じました。その後は原爆ドームや相生橋、韓国人原爆犠牲者慰霊碑 、原爆供養塔、平和の鐘、学徒動員碑など、じっくり公園内をまわりました。

午後は、伊藤正雄さんの被爆証言。被爆証言を聞くのはみんな初めてです。午前中ニコニコしながらガイドをしてくれた伊藤さんが被爆者で、過去に大変な経験をしていたことに、中学生たちは驚きました。その後訪れた平和資料館でもたくさんの展示をみましたが、黒焦げになったお弁当や黒い雨のことなどが特に印象に残ったようです。別れ際に伊藤さんは「これからは君たちが主役の時代になります。どうすれば戦争を繰り返さないようになるのか考えてほしい」と、中学生たちに投げかけました。

この日の振り返りでは「被爆当時4歳だった伊藤さんが、その出来事を今も伝え続けていることをすごいと思った」「学校で習う理科がこうやって戦争とつながっているんだ」などの感想が出て、感じるものがあったようでした。

 

3日目:8月5日「戦争遺構」

広島港(宇品港)からフェリーで20分の似島へ。瀬戸内海に浮かぶ、のどかで美しい島です。しかしここもまた、戦争と深くかかわりを持つ島です。

午前中は、「似島歴史ボランティアの会」の宮崎さんと秋月さんにガイドをしてもらいながら、島の戦争遺構をめぐりました。歴史の授業でならった「日清戦争」や「日露戦争」の時代に、この島には当時最大最新鋭の陸軍の検疫所があったと知って、中学生はみんなびっくり。宇品港から戦地へ行った1万7千人の兵士のうち、1万1千人が戦死ではなくコレラでの病死だった事実にも驚きました。
原爆遺構に比べて似島の戦争遺構は整備がされていないものも多く、分け入って入った山に埋もれているものも。ガイドのお二人の話を聞いて、「遺構を手入れしてもっとみんなが見に来てくれたらいいのに」と感じたという中学生もいました。また、原爆投下の時には、多くの負傷者が運ばれてきて検疫所が野戦病院になったこと、亡くなる人が多すぎて昼夜を通して遺体を焼いていたがそれでも焼ききれずに埋葬した人がいること、何人亡くなったのかさえもわからないことなどを知りました。

お昼にいただいたのは、島のみなさんが作ってくれた郷土食。「もぶりめし」というエビやゴボウなどが入った混ぜご飯や島でとれた野菜などをいただきました。

午後は柑橘畑での摘果作業と、楽しみにしていたバームクーヘン焼き体験。似島に捕虜として連れてこられていたカール・ユーハイムさんがこの島で焼いたのが日本で最初のバウムクーヘンとのこと。

ほかにも自家製レモンスカッシュやフルーツ、野菜、アイスなど、本当にたくさんおもてなしをしていただき、島の人の温かさにふれました。

 

4日目:8月6日「原爆の日」

広島原爆の日。平和公園に向かい、8時からの平和記念式典を原爆の子の像の近くの木陰から見学しました。

式典が終わると電車とフェリーを乗り継ぎ宮島へ。宮島では、厳島神社に参拝したり、鹿とたわむれたり。祈りに包まれていた平和公園とは対照的に観光地らしく明るいイメージの宮島に最初は少し戸惑いましたが、自由時間もたっぷりとって観光を楽しみました。

市内に戻り、夕方は灯篭流しのために再び平和公園へ。自分の願いごとや世界の平和を願う言葉など、思い思いに言葉を綴りました。

 

 

5日目:8月7日「最終日」

最終日。朝ゲストハウスを出発し、広島空港から仙台へ。車で南相馬へ行き、5日前に出発式をした男山八幡神社での解団式にて、全行程を終えました。

南相馬の中学生とともに、たくさんのことを考え、学び、楽しんだ旅でした。

様々な形でご協力・ご支援いただいたみなさまに感謝いたします。これからも、PBV・ピースボートと南相馬の子どもたちとの継続した取り組みを応援していただければ幸いです。