「ともに」Vol.4──二度の被災…。楽しい!美味しい!を大切にしたコミュニティづくり

PBVが出会ったSTORY

二度の被災。楽しい!美味しい!を大切にしたコミュニティづくり

まわりの方々から親しみをこめて「魔女」と呼ばれる、福島県いわき市の千葉由美さん。ピースボート災害支援センター(PBV)との出会いは、2019年10月の東日本台風(台風19号)による水害支援の時でした。千葉さんを中心とした地域のママたちのコミュニティ『ママCafeかもみーる』のママたちとともに調理してくださった夕食やおやつを、PBVボランティアが在宅避難者に配食するという形で、一緒に食事支援をおこないました。手作りのあたたかさがこもった食事と、千葉さんの笑顔に、被災者の方々のお腹も心も潤いました。
千葉さんは、いわき市内で子育てをしていた2011年に東日本大震災・福島原発事故で被災しました。そして8年後に台風に見舞われます。二度の被災を経験する千葉さんに、支援とコミュニティについてお話を伺いました。

 

炊き出し活動からうまれる被災者の笑顔

──台風19号の水害時、千葉さんはなぜ支援活動をはじめられたのですか?

被災した平窪地区に住む友人が、支援のためのカフェを立ち上げたので、そこに提供するお菓子を作るという形でサポートに入りました。それから食事支援を行うほか、個人的に繋がった子育て中の被災家庭の一軒一軒にも、ご飯と支援物資をお届けするようになったんです。たとえば、二階建ての一階が浸水してしまったお宅では、3世帯が二階で暮らしていました。「じゃあ、ここの家にはお年寄りのために塩分調整をしたお浸しや、子どもが好きそうなものを作ろう!」「風邪を引いたみたいだからビタミン多めのメニューにしよう」と、家庭に合わせて食事をお届けできました。被災してストレスがたまる状況下ですから、対面で手渡ししながら「なにか困ったことはない?」と聞くと、徐々に信頼関係ができていく。届けに行くと、子ども達がすごく喜んでくれるんですよ。

 

──お食事だけでなく、PBVが被災者の方々が集まるサロンを開催した時には、おやつを作っていただきました。美味しいおやつを食べながらお話しできる空間は、被災者の方々にとってホッとできる憩いの空間となり、とてもありがたかったです。

PBVのスタッフさんと一緒にパンケーキを作ったのも楽しかったですね。住民の方も喜んでくれて嬉しかったです。私が食べることが大好きだから、美味しいごはんのことばかり考えちゃうんですよ(笑)。

原発事故、台風19号……重なる二度の被災

──水害は、東日本大震災の復興がいまだ続く最中のことでした。二度の被災についてどのような思いでしたか?

原発被災地における水害はほかの水害とは違います。事故による放射性物質が森林にも残っていて、その汚泥が水害によって居住エリアに流入してしまう。私は原発事故後、子を持つ母親たちと『TEAMママベク子どもの環境守り隊』を立ち上げ、子どもの環境の放射線量、土壌汚染の調査を続けています。なので、台風後すぐに、住宅の床下に入り込んだ土や、小・中学校や幼稚園など子どもが過ごす場所での調査をはじめました。水害前と水害後のデータを比較すれば、水害による汚染の影響が分かると思いました。

ただ、水害のあまりの大変さに「それどころじゃない」という空気もありました。ですから被災した方々の気持ちに対して慎重に行動しながら原発事故後の経験を活かし、被災後の具体的なお困りごとを聞いてアドバイスをしたり、被災した住民に向けた自治体からの説明会の質疑応答の準備をしたりしました。原発事故もそうですが、制度的な問題が被災者救済を阻む現状をなんとかしたいと思っています。
炊き出しについても、2011年からの繋がりがあって実現しました。炊き出しの拠点を貸し出してくださったのは、『ママCafeかもみーる』の定期的なお茶会の会場だった教会です。また全国各地の応援してくださる方からも、食材や支援物資や食材費のご支援をいただきました。クリスマス近くにはサンタの靴下も送ってくれました。原発事故のネットワークで出会った人々が水害の時に繋がり、支えてくださったんです。

 

──ずっと活動を続けてきたことでコミュニティができていたんですね。PBVのような外部からの支援とは違う形で、その土地で継続されることの大切さを感じます。

でも、私たちは微々たることしかできなかったなとも感じています。PBVの皆さんを見ていると「なんでここまでできるのかな」といつも不思議でした。3月にいわきから撤退された時にはPBVロスを目の当たりにしましたよ。こんなに大きな穴がぽっかりと空いてしまうくらいの存在感だったなぁ、拠り所だったんだなぁ、というのは今でも忘れない感覚です。

 

育児の孤独で実感した、コミュニティの大切さ

──食事支援に尽力された『ママCafeかもみーる』はもとは東日本大震災の時から立ち上がったコミュニティとのことですが、千葉さんはなぜ災害支援の活動に携わるようになったのですか?

もともとは自宅で環境にやさしい暮らし方などのワークショップを開催していました。子どもがアトピーだったことで自然療法を学び、自分で薬草を育てたり食の安全や環境問題を考えるようになったんですね。あと、転勤族で孤独な子育てをしていたので育児ノイローゼみたいになってしまった時期があったんです。「母親が精神的に不安定になると子どもに悪影響を及ぼす」ということを身をもって経験しました。その時に実感したのがコミュニティの大切さです。いろんなことを話せる場所にとても助けられたので、私も自宅を開放して、コミュニティづくりとワークショップを融合させたようなことをしていました。

そういう生活を気に入っていたけれど、原発事故ですべて失くなってしまった。さらには大事に育ててきた子ども達に、放射能というリスクが課せられてしまいました。途方にくれた中で「なにかできることを」と始めたのが、放射線量の測定です。子を持つ母親たちと『TEAMママベク子どもの環境守り隊』を立ち上げ、子どもの環境の測定を続け、結果をもとにいわき市に子どもの被曝防護策を求めています。

測定だけでなく、お茶会を通してコミュニティづくりも続けてきました。誰もが不安に陥る中、価値観の違いから思いを共有できず、母親が追い詰められているケースがたくさんありました。まずは精神の安定を取り戻すためにお茶を飲んだり、美味しいものを食べたり、笑ったりして、疲れた心を開放する場をつくろうと思いました。それぞれが徐々に冷静さを取り戻し、「自分だけじゃない」という安心感も心を軽くしてくれたのではないかと思います。

 

地域のコミュニティづくりに欠かせないもの

──「場所がある」ことが救いや安心にもなりますね。

炊き出しもそうですが、いつでも行けば会えるという場所がある安心感は大きいですよね。被災地だけれどゲラゲラ笑って「楽しい、美味しい」は欠かさない!お茶会でも、膝をつきあわせてゆるい雰囲気でざっくばらんにおしゃべりする。そういう環境でないと伝わるものも伝わらないですよ。そうやって支え合う関係性づくりがしたいんです。

 

──活動を続けていくなかで、モチベーションや、大事にしていることはなんでしょう?

社会を築いている大人として未来への責任を感じています。「原発事故は絶対に起こらない」と言われていたけど起こってしまった。二度と繰り返さないために、自分として何ができるかを常に考えています。植物を育てていたからより実感していることかもしれないけれど、安全な環境は努力なしには維持できません。目には見えない放射能汚染は向き合い続けるのがほんとうに難しいなと実感していますが、命あるかぎりは続けていきたいと思っています。ただ、自分が生きている間には解決しない長期的な問題なので、枯れてしまわないようにと心のケアを大事にしています。
直近の目標としては、社会全体で子どもを守る体制づくりを行政と連携して実現させたい。測定結果をいわき市に報告をし、子どもの被曝防護策を求めているのですが、協議を重ねる中で担当者が「ママベクさんのデータは市民に広く知らしめるべき」と言ってくださるほど前進したので、実現化のためホームページを作成し奮闘中です。それから、自宅でのワークショップも再開させたいなと思って、それに向けての準備もしています。みんなで支え合って、笑顔で元気に活動していきたいですね。

  

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その後も千葉さんは、炊き出しノウハウを共有する「みんなの炊き出し研究所」の意見交換会にご協力くださるなど、さまざまな形で力をいただいています。

 

▼千葉由美さんのご活動はこちらから
ママcafeかもみーる
TEAMママベク 子どもの環境守り隊
いわきの初期被曝を追及するママの会