ボランティアの身を守る仕組み (前半)

ピースボートが、第1回目のボランティアを石巻に送り出したのは3月25日。まだ毎日のように余震が続く、震災から2週間後のことでした。震災の影響で傾いた建物、割れたガラスの破片や鋭利物がむき出しであったり隠れていたり、さらに町を覆うヘドロの中には腐った魚介類や有害物質が混じっているなど、いま以上に危険と隣り合わせの状況でした。

ボランティア希望者には、東京をはじめとする遠隔地での事前説明会への参加を義務づけ、現地へ入るに当たっての心構えや持ち物を徹底、そして自分たちの身を守るためのセイフティ(安全)レクチャーを行うなど、現地に入るまでの研修に力を注いできたのは、いち早く、かつ大規模なボランティア派遣を預かる責任感からでした。

 

1995年の阪神淡路大震災を皮切りに、ピースボートでは、新潟の中越と中越沖地震、トルコ、台湾、パキスタン、米国ハリケーン・カトリーナ、スマトラ沖地震と津波被害のスリランカなど、国内外での震災救援活動を行ってきました。そのほとんどの現場で指揮に当たったのが、現在も代表を務める山本隆です。

代表・山本隆(左)と、クリーン活動の現場AD(アシスタントディレクター)一條

 

震災直後、山本が現場入りするのは、あえて震災から5日後~1週間経ってからのことです。

「震災の規模にもよりますが、発生から72時間(3日間)はとにかく人命救助が先決です。情報も混乱している中、医療技術や救命道具、ヘリコプターなどの輸送手段を持たない僕たちが現場に入ってもできることは限られています。下手すれば、自分自身が二次災害に巻き込まれ、自衛隊や消防の手を煩わせてしまうかもしれません。」

「けれど、その間に中長期で現場生活に耐えうる準備を整え、現地での受け入れや拠点のアテを探し、送り出し側(ピースボートの場合は東京)の体制を少しでも整えて出発することで、そこから始まる息の長い緊急支援を動かすことができると思っています。」

 

 

人命救助と一時避難のタイミングを過ぎて必要になるのは、炊き出しや暖の確保など今日そして明日を生きられるための支援。山本はじめ先遣スタッフは、自らが自己完結で生活できるための装備に加え、水や食料・毛布などの第一次支援物資とともに現場へ向かいます。

「今回は、まだ寒い時期での大規模災害。手ぶらで現場に着いて『水と毛布が足りない!』と、初めから分かりきっていることを訴えても仕方ありません。まずはトラック1台分でしたが、とにかく少しでも役立つ物資をかき集めてから出発しました。」と山本。

現場に着いてからの動きは、以前紹介した同じく先遣スタッフの上島や小林のコメントにもある通り(上島のレポートは コチラ、小林のレポートは コチラ)。

 

人手がまったく足りない状況の中、山本からの報告を受け、3月20日東京本部のスタッフが一般ボランティアの募集を開始します。

(後半につづく)

 

photo : Yoshinori Ueno、Kazushi Kataoka