先月8月のお盆の大雨被害からひと月が経ちました。特に大きかった地域の一つである佐賀県大町町を主な活動地として、避難所や地域の支援交流拠点の運営サポート、住民さんの困りごと(ニーズ)と支援の申し出(シーズ)を繋ぐ調整サポートといった支援を続けています。
住民さん達と出会う日々の中で、よくこのような言葉をかけていただきます。
「起こってしまったことはとても辛くて乗り越えがたいけれど、出会えたことに心から感謝」
日々の出会いに感謝しながら、出会った方々のインタビューシリーズ【一期一会】をこれから不定期にアップしていこうと思います。
【一期一会】のトップバッターは、PBVが地域の公民館を通じた支援と住民の方々の交流の場づくりのお手伝いをしている大町町中島区の区長さんである、鵜池弘文(うのいけ・ひろふみ)さんです!
発災直後から休まず毎日、地区住民の集い場所となっている中島区公民分館(以下、公民館)を朝早くから開館し、訪れる住民一人ひとりに「元気しよった?今どうしよっと?」と気さくに声を掛けていらっしゃいます。
床上浸水の跡が柱や外壁にくっきりと残った公民館。8月14日には身近な公民館を頼って集まった住民達が救命ボートに乗って避難しました。これまで月に2〜3回開けていた公民館を、被災して様々な困りごとを抱えてやってくる地区住民の方々が寄り合える場所として毎日開くことを決め、早くも1ヶ月が経過しました。
「2年前に浸かった人がほとんどで新規が30軒くらい。前よりも水位は高いし。『(水害が)またきちゃったよ…』という諦めでいっぱい。ここのあたりは高齢者が多いし、体力もそうだけれど、何より精神的に参ってしまっている」
3年の区長の任期のうち、一昨年2019年と今年で2回の大規模水害を経験した鵜池さん。自身の平家も、地区の中でも特に浸水被害が大きい地域に建っています。
「大雨特別警戒が発令するっていうニュースを見て、早々にうちから離れて高台の方に避難したんです。」
公民館を休まず切り盛りするパートナーを支えながら、家屋修繕のために来訪した大工の方々と復旧作業を進めている妻・美樹(みき)さんが、発災当初の様子を携帯で撮影したビデオを見せてくださいました。
「ここで生まれ育って、結婚をして、子を育てて。今までずっと子どもに『家を建てるときは(大町町に)帰ってこい』と話していたけれど、今回、2年足らずで水害がまたあって、『もうここには住まない方がいい。佐賀市とかがいい』って話すようになったんです。子どもに『出ていけ』って伝えるのは、本人は本当に辛いんじゃないのかな」
高額なリフォーム代がかかって、約1年間、やっとの思いで修復させた家屋が、数年足らずで再度被災してしまいました。やり場のない気持ちや疲弊感を抱えながら、パートナーである弘文さんの身体や心情の変化も心配しています。
自身の自宅の再建も進めながら、それでも鵜池さんが毎日公民館を開館するのは「地域の人がいることで、被災した地区住民が少しでも安心してくれる、心の支えになるため」だと言います。
中島区は大町町の地区の中でも新興住宅を中心とした地域で、人口も多く働き世帯が多いため、情報伝達や協力しあうには、地区の役員さんや班長さんなど多くの方々の力が必要です。
先日9月5日、発災後ようやく集まることが叶った地区の班長会では、地区の被災状況やこれからの復旧活動に向けた方針や想いを話し合いました。「相身互い(あみたがい)でともに助け合いながら頑張っていきましょう。できる人はぜひ力を貸して協力してほしいです」という鵜池さんの言葉に呼応するように、それから顔を出してくれる人の数が徐々に増えています。
「発災当初はもう諦めの気持ちでいっぱいだった。前の水害の時は200人、300人って災害ボランティアの人達がすぐ来てくれていたでしょ。災害とコロナは二重苦だよね。本音は、水害のガタガタの中でこういう形で再会はしたくなかったけれど、PBVのみんなの助けに本当に救われているよ。あんた達がおいどんらの頼りやけん」
大町町では、町、自治体、市民団体の三者連携による地域の支援交流拠点となる公民館を中心に、被災された住民の方々の支援をおこなっています。物資配布や食事・炊き出し、家屋を復旧するための資機材の貸出や、お困りごとの相談といった支援活動のお知らせを行い、班長さんたちに被災地域の住民さんにチラシを配布していただいてから、初めてお会いする住民の方々と出会いが広がる毎日です。
支え合いながら一歩一歩復旧に向けて進んでいる大町町のみなさん。鵜池さんのように、被災されながら、地域の復旧のためにひた走りしている方が多くいらっしゃいます。心身のケアはもちろん、少しでも元気になってもらえるように、お一人ひとりに寄り添いながら一緒に乗り越えいくお手伝いをしていきたいと思います。
次回の【一期一会】もどうぞお楽しみに!