9月1日、雄勝湾沿いの町を過ぎ、さらに山を越えて進むこと約20分。
石巻市の雄勝半島の先っぽにある船越へやって来ました。
出迎えてくれたのは、中里孝一さん。
船越の復興作業部会のリーダーで、「貧乏だけど、心はリッチな被災者」 がキャッチフレーズという、なんとも冗談好きな浜の漁師さんです。
「お前は、全部喰っちまうんだから(笑)。ほれ、これも食べてけ!」
浜の漁師さんたちは気前がいい。中里さんと仲良しのピースボート平山くんの前には、早速アイスと乾燥昆布の差し入れが。ちなみに、平山くんのここでのあだ名は「トラフグ」「マンボウ」です。
(他のあだ名が気になる方はコチラ「洞源寺の解散式」をどうぞ)
「浜の漁師は、旬の魚が取れたら、家族や親戚一堂に送ってやるのが当たり前。あんたらももう家族のようなもんだから送ってやりたいけど、もうちょっと待っててくれな。」
ここは、天然の漁場。同時に行っていた養殖産業は、津波で網や生簀ごとやられてしまったものの、天然の魚が捕れる船越では、秋から一部の漁業を再開したいと準備を進めているそうです。
「1,2月は真鱈、3,4月は赤鰈、4~6月は養殖の仕掛け。それから6,7,8月になると穴子、8,9月は水蛸、9月に仕掛けや網の入れ替えをして、10,11,12月は銀鮭だな。」
各漁師の家庭では、これらの中から大体3本柱を選んで漁を行っているそう。浜の漁師たちは忙しい。
さらに、中里さんはホタテの養殖にも力を入れています。種付けは、八重桜が満開になった日。8月末にゴマ粒ほどの多きさになり、一旦9月に種を選定。12月にも揚げて間引きをし、さらに沈める。翌年5月に穴を開けてロープを通し、また沈める。10,11月頃にフジツボなどの雑貝を取り除き、収穫できるのは種付けから2年後のこと。自然相手なので一切手は抜けないし、根気も必要。もちろん、お金もかかります。
ピースボートと中里さんが知り合ったのは、7月2日の「雄勝復興市」でのこと。
中里さんは、遠洋漁業の経験も豊富な世界中を航海した漁師。震災でほとんどの家屋や納屋が壊滅的な被害を受けた中、それらも奇跡的に助かったそうです。だからこそ、自分のことは後回しで、船越の仲間のために身を粉にして働きます。
「運良く納屋も助かったから、できるんだと思う。浜ってのは『我』を出したら生きてげねから、みんなで助け合ってやってかねと。来年は、自分も漁をしなきゃ生きていげね。避難したみんなもまた船越に戻ってきたいと思えるよう、いま頑張んねぇと。」
震災前、船越には320人ほどが暮らしていました。その7~8割が年金生活者。自然があって食べるものにも困らない集落でした。しかしながら、仮設住宅建設用の平地がない船越では、家を失った方々は遠くの仮設住宅に移動して生活しています。住み慣れた集落での暮らしを望む気持ちはあっても、現在の惨状とこれからの生活を考えた時、「絶対に船越に帰ってくる」と決めているのは、まだ十数世帯だけだそうです。
「浜に人たちもみんな流されてる。心の底から笑えるようになるには、もっと時間がかかる。けど、冗談言ってやってかねと、気持ちが滅入ってしまう。あんたらが来ると、嫌なこと忘れて笑ったりできるから母ちゃんたちも楽しそうだ。でも、次はちゃんと女の子のボランティアも連れてくんだぞ(笑)」
と、中里さんは、最後まで冗談を連発しながらインタビューに答えてくれました。
お忙しい中、本当にありがとうございました。
ところで、今回の訪問の目的は、ボランティアの支援ニーズ調査でもありまして。
結果、来週からは船越への漁業支援、お母さんたちの内職のお手伝いなどのボランティアも始まることになりました。担当になるボランティアの皆さん、よろしくお願いします。
※次回は、「雄勝石拾い」をご紹介。拾った石をアクセサリーなどに加工して販売、船越の漁師さんらの船の燃料代など、漁業再開と継続に必要な資金を集めようという産業再生のためのプロジェクトです。
お楽しみに♪
All phots by Kazushi Kataoka