東日本大震災から7年、石巻市民からのメッセージ

明日で、東日本大震災から7年を迎えます。

ずっと関わってきた宮城県石巻市でも様々な変化がありました。
急に変わったわけではありません。
7年間の2,555日が積み上げられて、今があることを感じています。

その毎日を見続けてきた、作り続けてきた3名の石巻市民にお話を伺いました。
私たちも、本当にお世話になってきた方々です。
石巻の今を少しでも感じ、一人ひとりに今できることを考える機会になればと思います。

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阿部紀代子さん
石巻市中央、割烹「八幡家」女将

 

あっという間の7年間でした。
「なんとかしなくちゃ」と目の前のことに必死だった1年目が過ぎ、お店を再開したのが2012年7月。
その後も良くなっていく石巻にしたいと思ってここまでやってきました。
全国で風化が進んでいると言われるけれど、石巻の地元だって風化が始まっていると感じることもあります。
だから、防災訓練なんかもまずは「やってみることが重要」と近隣の人たちに声をかけてお誘いするようにしています。

2011年当時、石巻にボランティアに来てくれた皆さん。
「あのとき以来、行けていない」なんて後ろめたく感じないでね。
遠慮なく遊びにおいで。こっちの人たちはみんなに会いたがっています。
いまでも感謝してるんです。
でも、みんな泥だらけでマスクしてたから顔が分からないから、
「あのときのボランティアです」とだけは名乗ってね(笑)。
石巻で待っています。

 

割烹「八幡家」は、震災後、2012年7月に再開。美味しい鰻料理などの和食が人気のお店。

 

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萬代好伸さん
石巻市在住、震災語り部

 

毎年3月を迎えると特別な気持ちになります。
「生きている人が先ですから」とたくさんの亡骸を丁寧に弔うこともできなかったあの日を思い出します。
「大災害は犠牲を伴う」なんて諦めはしたくはない。
津波は、とにかく逃げる。自分の体験を通して「命の尊さ」を伝え続けていきたいと思います。

昔の私は、どこかで起こった災害にも無関心でした。
ただ東日本大震災で多くのボランティアに助けてもらい、一緒に活動することで考えが変わりました。
重機や大型車両を運転できる技術も活かして、その後は様々な被災地のボランティアに参加しました。
「恩返し」の意味もありますが、何よりも被災者の一人として
「困ったら助けを借りてもいい。そうすれば立ち上がれるから」というメッセージを伝えています。
人が人を支える。
それが災害大国の日本に一番大切なことだと、あの震災は私に教えてくれたように思います。

 

萬代さんは、PBVとともに米国ニューヨークで発生したハリケーン・サンディの支援にも参加してくれた。

 

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永沼悠斗さん
大川地区長面(ながつら)出身、東北福祉大学1年生

 

震災遺構となる大川小学校の卒業生です。
いまも仮設住宅に暮らしていますが、今度の夏に家が完成します。
7年間の仮設暮らしも、やっと終わりです。
この1年は、防災と福祉を学ぶために再入学した大学やJCC-DRR YouthTOMODACHIイニシアチブなど、PBVとの出会いもきっかけになって同世代で防災・減災に取り組む仲間ができた年でした。

地元では、訪れてくれる人たちに対して、若者の語り部として高校時代に経験した震災のことを伝えています。
昨年11月には、大切に作り上げてきた常設展「大川地区『記憶の街』模型復元プロジェクト」もようやく形になりました。
これからも、特に同世代や次の世代に「災害は他人事じゃない」ということを伝え続けていきたいと思っています。

 

大川地区『記憶の街』模型復元プロジェクト」は、震災前の暮らしを感じられる常設展。

 

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一人ひとりにできること。

東日本大震災をきっかけに設立したピースボート災害ボランティアセンター(PBV)と、
石巻・女川の地域振興に取り組むピースボートセンターいしのまき(PBI)
皆さんにもご参加いただける現在の活動の一覧をご紹介します。

●東北被災地を応援する
行って応援「石巻 視察・研修」
食べて応援「ほやほや学会」

●買って応援する
ボランティアマガジン全6冊『石巻通心』
冊子『石巻市民から学ぶ!!支援を活かす地域力』

●ボランティアをする
石巻で漁村留学「イマ、ココ プロジェクト。」
PBV東京事務局でのボランティア

●災害に備える・学ぶ
職場や地域で研修の場を企画する
防災・減災グッズを備蓄する

●寄付で応援する
福島の子どもたちを応援「ふくしま募金」
PBVの活動を継続して応援「サポート会員」