石巻の語り部 萬代好伸さんより [第三章 その1]

第三章  ボランティアとの出会い その1

 

 width=

 

発災から20日余りを経て、被災して再建の見通しが立たないと、会社からは解雇の通知を頂きました。

安否の確認やら食料の買い出し、ガソリンの調達に遠く離れた親類への連絡と、3月11日以来の3月は、自分にとって忘れようとて忘れられない、哀しみと恐怖、そして過酷さをもたらした月でございました。

しかし4月に入る頃には、だいぶ物資の供給も落ち着き、並ばなくても物が買えるようになっていました。

さぁそろそろ就活と言う矢先に、知人から特殊車両操作の、アルバイトを依頼されました。

正規社員にとの依頼もあったのですが、自分はどうしてもその特殊車両に興味を抱いていました。

知人言わく、「ドイツからベンツのトラックが、石巻の復興の為に来るらしい!」「お前左ハンドルのトラック運転出来るか?」との依頼でした。

興味津々の依頼に、二つ返事で答え、知人に依頼をした、石巻災害復興支援協議会(現 みらいサポート石巻)に、会長を訪ねて行きました。 石巻専修大学の教室の一部を、間借りしていた協議会は、各ボランティア団体や、NPO、NGOの皆さんが、情報を共有し合い、お互いに連携を持って復興支援活動に取り組もうとする主旨の団体でした。

知人と共に専修大学のキャンパスに入り、駐車場に車を停めて、事務所に向かう道すがら、自分は背中に震えを感じ、心が熱くなるのを覚えました。

大学のキャンパス一杯に、所狭しと張られていたのは・・・、ボランティアさんのテントでした。 駐車場も一杯になる程に、他県ナンバーの車がズラリと並んでおり、そんな中にも神戸・兵庫のナンバーが、圧倒的に多かったのを、自分は見逃しませんでした。

協議会の会長言わく、「萬ちゃん!この人たちは、定期で1週間、自分の食べ物や水、活動する際の服装や長靴、そして寝床となるテントを持参してるんだ!」「全てを自己責任、自己完結でね!」と。

自分の故郷の為に、そこまでしてくれるのかと思ったら、身体の身震いが止まりませんでした。

自分が特殊車両を操作するアルバイトも、ボランティアでするよと、会長に進言しましたが、「萬ちゃん!あんたは職を失ってる!」「ボランティアは自分の基盤を持っていて、空いた時間で来てるんだ!」「あんたがボランティアしたら、どうやって食べるんだ?」「しっかり基盤を持たないとねぇ!」 そう説得され、渋々受け入れた事を覚えています。

 

特殊車両の納車が、5月の連休以来と決まった4月の半ば頃、とある電話が入りました。

それは、協議会に所属のピースボートさん(現 PBV)からで、特殊車両が来るまで、路線バスで使用された、払い下げバスの運転をして欲しいとの依頼でした。

直ぐさま二つ返事で承諾しました。

「えっ!いいんですかぁ?」と、驚かれましたが、ボランティアで来た人々が、石巻の道路事情を知るはずもなく、ましてや大型のバス、しかも震災で通れる道が制限されると来たら、引き受けるしか、選択はありませんでした。

発災から程なくのゴールデンウィークは、社会人の人々を中心に、大勢のボランティアさんが訪れました。

他の市町村では、多くのボランティアが来ても、受け入れが困難と、難色を示していましたが、石巻は話題にもなりましたが、「石巻モデル」と称された独自のスタイルで、大勢のボランティアを受け入れ、圧倒的なスピードで復旧活動を、展開して行ったのでございます。

その大勢のボランティアさんを、宿泊拠点から活動拠点へと、自分は送迎しました。

当時ピースボートでは、専修大学のキャンパスにテントを張って宿泊拠点としていましたが、ゴールデンウィークで、人が多く集まる事を予測して、稲井地区は沼津と言う所に、テント張り形式の宿泊拠点を、あらかじめ用意していました。

自分はその沼津班のボランティアさんをメインに、送迎する事となったのでございます。

はじめて会ったボランティアの皆さんは、やはり緊張した赴きで、かたい表情を浮かべていました。

そんなボランティアさんに自分は、声を積極的に掛けました。

朝は「おはようございます!」「今日も1日頑張って下さいね!」と・・・!

そして帰りには「今日1日お疲れ様でした!」「明日も宜しくお願いします!」と・・・!

沼津班の皆さんが、主に活動していたのは、市街地の中央地区で、側溝の泥出しと土嚢詰め、それの運搬と清掃でした。

都会に帰ればOLとビジネスマン、そんな皆さんが泥だらけになって、我が街を綺麗にしてくれる・・・!

そんな皆さんに自分が出来る事といったら、元気に笑顔で声を掛けるしかなかったのです。

 

その年のゴールデンウィークは寒さが厳しく、宿泊拠点の村長は、いつもベール缶に雑木を入れ、焚き火をおこしてくれました。

活動が終わると、その焚き火を囲み、様々な事を語り合いました。 自分がいつも皆さんに話したのは、震災で経験した事でした。

真剣に耳を傾ける皆さんも、被災地の惨状を見て、居ても立ってもいられない思いで、来たと言います。

そんな皆さん、来る前の説明会で、このように言われたそうです。

「被災地は、未だ余震も頻発し、いつ同じような津波が来るか分かりません!」「悪くすると、命を落とすかも知れません!」「どうぞ覚悟のない人は、帰って下さい!」と!

1人のボランティアは、この説明会の後に、パソコンに遺書まで残して、ボランティアに参加したそうです。

そうしたピースボートの活動に自分は、この人たちは本気で支援活動をしているんだと、強く思わされた事を覚えてます!

 

 width=

 

=====

第三章 その2 に続く