昨年5月から長期で石巻のボランティアに参加、ボランティア冊子『石巻通心』の編集長を経て、舞台『イシノマキにいた時間』の石巻公演を成功させた、コメディアンの福島カツシゲさんにインタビューしました。
Q:
『イシノマキにいた時間』の石巻公演、お疲れ様でした。東浜小学校、中央公民館の2公演で合計300人以上が来場、石巻の方々にも楽しんでいただけたように思いますが、まず率直な感想を聞かせてください。
『イシノマキにいた時間』の舞台より(6月29日、石巻市の東浜小学校)
A:
やって良かった、ですかね。開催を決めてから本番までは、やっぱり不安でしたからね。この作品は、葛藤しながらも活動するボランティアの姿を 通じて、震災以降の石巻や住民の方々を映し出すものだと思っています。当たり前やけど、被災者ではない自分が、ボランティアの目線とはいえ石巻を描いて良 いのだろうか?と。
舞台終了後もですが、石巻の街を歩いていると観に来てくださった方から声をかけられることがあって、たくさんの人から 「ありがとう」という言葉をもらってホッとしたのと、これはもっと全国に伝えて下さいって意味かな、とも思いましたね。直接、「いろんなところで伝えて ね」と言っていただいたこともあります。僕にとっては、これから始まる鹿児島や北海道公演に向けて、ぐっと背中を押してもらった公演になりました。こちら こそ、本当にありがとう、という気持ちです。
詰め掛けた石巻の皆さんからも温かい拍手が(7月1日、石巻市中央公民館)
Q:
ボランティアの芝居をつくろう、と思ったきっかけはいつ頃ですか?
A:
この芝居の台本のベースになったのは、『石巻通心』です。去年5月から石巻でのボランティアを続けていましたが、当時は目にすること、耳にすること、悲しいことの方が大半でした。特に長期で滞在するボランティア自身、一人ひとりが前向きな気持ちをキープするのが大変だったと思います。
ボランティアリーダーたちのミーティング(撮影:2011年7月3日)
そんな頃、「悲惨な現場と明日の作業確認も大事だけど、現場現場で目の当たりにした嬉しい出来事も共有しよう」と、夜のボランティアミーティングで“石巻のちょっといい話”を話すワンコーナーが生まれてきました。そのエピソードを聞いているうちに、「これは伝えなきゃ、伝えたい」って思うようになって、それが『石巻通心』を始めるきっかけです。
『石巻通心』は、ボランティアに行ったことがある人が中心に読んでくれていますが、ボランティアに行ったことがない人にも知ってもらうには、本職の「笑い」とか「芝居」とかで表現した方が観に来てくれるんじゃないかと。
全6号が完成したボランティア冊子『石巻通心~想いてんでんこ~』
Q:
なるほど。ところで、カツシゲさんは、もう1年以上ボランティアで石巻の活動を続けてますが、その本職の芝居とかの仕事は大丈夫だったんですか?
A:
そりゃ、もぉ、お笑いも役者業も、演出家としての仕事も過密スケジュールやから、去年5月に原付で石巻に行った時は、3日ぐらいお手伝いして帰るつもりやったのに、「こりゃ3日じゃ帰られへんわ。この先のスケジュールは・・・」って、スケジュール帳を見たら、案外、というか全然真っ白で(笑)
ちょこちょこ東京に戻って仕事はしてるけど、「今年は、仕事ええから、ボランティアやりなさい!」っていう、ボラ神(ボランティアの神)からのお告げやったんやろね。
『イシノマキにいた時間』の舞台より(6月29日、石巻市の東浜小学校)
Q:
そう言えば、過密スケジュールを合い間をぬって、以前北海道の富良野で3年ぐらい、ひとり生活してましたよね?(笑)
A:
過密スケジュールにこだわるね?「今年は富良野にいなさい!」って、フラ神(富良野の神)からのお告げがあって(笑)
とは言いながら、別の舞台もやってるよ。さっき(インタビューは7月10日)、8月17日から始まる劇団プレステージの『Have a good time?』の最終脚本を書き終えたとこ。彼らの舞台に関わるのは3回目で、去年5月に石巻に来る直前まで演出をやってて、その後、劇団のメンバーたちもボランティアに来てくれたし、『イシノマキにいた時間』でも色々手伝ってもらって、スッゴイ助かった。こっちの作品は、5人組C級アイドルが織り成す王道のコメディーで、まぁ、ドタバタな舞台です。
(中編へ続く)
photo:Yoshinori Ueno, Shoichi Suzuki