阪神・淡路大震災から31年

31年前の、1995年1月17日午前5時46分。
阪神・淡路大震災が発生しました。
6,434名(関連死を含む)の尊い命に、ご冥福をお祈りします。

 

現在、輪島で能登半島災害の支援活動をおこなっているスタッフの黒田真士も、淡路島で被災した一人です。当時のことを振り返り、災害について、そして支援活動について、あらためて聞きました。

 

黒田(右端)。輪島にて、住民の方と。

 

──発災当時のことを覚えていますか?

当時、4歳でした。
食器棚が倒れて、足元にVHSビデオテープが乱雑にぐちゃぐちゃになっている。9歳のお兄ちゃんに「こっちおいで」と呼ばれて、兄と姉と3人で寝室の真ん中に固まっていたのを覚えています。

リビングや書斎は2階が落ちて1階がつぶれてしまいましたが、寝室だけは吹き抜けだったので奇跡的に助かりました。でも窓は歪んで開けられず、閉じ込められてしまったのを、隣家の方がスコップで窓を力づくで壊してくれた……と後で父から聞きました。
その父も、いつも早朝は1階の書斎にいるのに、その日はたまたま移動したタイミングで揺れがあり、難を逃れたそうです。

ほかにもさまざまな偶然が重なり助かりました。なにかがちょっと違っていたら命を落としていたかもしれません。

翌日、岡山の祖父が車で駆け付け、余震が続くなか子どもだけを連れ帰りました。その後、大阪にある両親の友人の家に僕だけ預けられました。でも4歳だったから理解ができなくて。捨てられたような気持ちになってしまい……「パパとママに今すぐ会いたい」と毎日泣いていた記憶があります。

僕はまだ小さかったけれど、父や母や姉は、その後も精神的な後遺症がありました。今でも家のトイレのドアを完全に閉められないとか、寝ていても音がすると反応してしまうといったことがあるそうです。

1月17日を迎えるたび、家族 5人全員で一緒にまたこの日を迎えられたんだと再確認しています。去年の震災30年目には、家族のグループLINEで「今年も一緒にいられて幸せです。大好きです」と伝えました。

今、振り返ると、田舎だったからか人との距離が近くて、近隣みんなが家族のような感じだったのが良かったことです。発災直後に「〇〇さんの姿が見えねえぞ、行ってみるか」という感じでした。おかげで僕たちも救助されたのだと思います。

今いる輪島も、近隣の人との関わりにそういう雰囲気を感じます。

 

──輪島では、どのような思いで、どんな活動をしていますか?

『コミュニティ支援』の一貫でサロンを開催して、ここに住む方々の話を耳にしながら、自分の経験を思い出して「なにか貢献できないかな」という気持ちになることがあります。

被災された方のなかには、鬱になってしまったり、外に出るのが怖くなってしまったという方もいます。そんな方が一歩でも外に出て、ほっとできる場を作りたい。実際にサロンに来て、お茶を飲んだり、一緒に運動をしたりしているうちに、とても表情が明るくなってきたり、「これ(サロン)が楽しみで生きてる」と言っていただくこともあります。大げさでなく『コミュニティ支援』は命を繋ぐものだと思います。

僕の活動が、誰かの生きる活力になれば……そう思いながら毎日一生懸命サロンをやっていることが、誇りであり、やりがいであり、生きがいです。

サロンでの様子

でも、実は逆なんです。僕が「元気づけよう、勇気づけよう」と思っていても、笑顔で「お兄ちゃんおはよう」と言われると「ああ、救われているな」と感じます。みなさんから前を向いていこうとする人間の強さを実感し、自分たちこそが人と人との繋がりによって生かされているのだとあらためて思うようになりました。

 

──災害支援に関わっていて、どんな未来を思い描いていますか?

輪島の皆さんは、ほかの地域で地震があったというニュースを見ると「あそこ大丈夫かね」と言うんです。また輪島へも、阪神・淡路大震災で被災された方から「30年経ち神戸も復興したので、能登の皆さんも大変だと思うけど時間をかけて頑張って」と衣服の支援をいただき、サロンで配布したこともありました。

他人事ではなく、自分事なんですよね。そんなふうに心を寄せる人が一人ずつでも増えていったらいいなと思っています。

現地に行けなくても、寄付ができなくても、どこかで困って苦しんでいるのであれば、自分ごとのように手を取り合える世界であってもらいたい。

そのためにはやっぱり、思い出すこと、忘れないことが大事なのかなと思います。

 

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阪神・淡路大震災が発生した1995年は、多くのボランティアが被災地に駆けつけ、「ボランティア元年」と言われました。

その後、被災地で活動する災害ボランティアの姿が定着し、多くの専門性を持つNPO・NGOなどの民間支援も広がっていきました。

それら支援活動は、災害対応を担う行政や社会福祉協議会職員、地域組織の方たちなど、多くの方が支援を受け入れることによって行うことができています。まさに、人と人とが手をとりあって、生きていく社会へ
あらためて31年前に思いを馳せ、未来へと繋げていきたいです。

 

整体の資格を持つ黒田。
サロンでの施術後、住民の方と一緒に。