2024年1月1日に発生した能登半島地震。
被災地・輪島で生まれ育った朝日向綾(あさひな あや)さんは、出産からわずか1か月後にその日を迎えました。
まだ体の回復もままならない中、赤ちゃんを抱えての避難生活。寒さと不安、そして何もできない自分へのもどかしさ——。
それでも彼女は、少しずつ前を向き、2024年4月からピースボート災害支援センター(PBV)の地元雇用スタッフとして、被災した人々と支援者をつなぐ調整役を担っています。

(2024年3月頃にねぶた(拠点)付近での物資配布)
PBVでは、被災地の復興を地域の人々とともに進めていくため、地元で働く仲間を積極的に迎え入れています。
「誰かが見てくれている」「応援してくれている」と思えるだけで前を向ける——。
被災者でありながら支援する立場として日々活動を続ける朝日向さんに、輪島での日々、支援の現場で感じたこと、そして未来への想いを伺いました。
(聞き手:PBVスタッフ古賀)
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古賀:朝日向さん、こんにちは!いつもオンラインミーティングでお会いすることはあっても、こうして二人でお話しするのは初めてですよね。すっごく楽しみにしていました。
朝日向:私もです!嬉しい。
古賀:朝日向さん、小さいお子さんがいらっしゃいますよね。いま何歳ですか?
朝日向:来月末に2歳になります。
古賀:わー、可愛い!まだまだ手がかかるでしょうけど、少しずつおしゃべりし始めてとっても可愛い時期ですよね。
朝日向:そうなんです。まだ赤ちゃん。笑 古賀さんはお子さんはおいくつですか?
古賀:4歳と7歳です。うちは、少しずつ手は離れてきたけど、だんだん生意気になってきて。毎日面白いし、すっごく可愛い!
朝日向・古賀:ふふふ。
産後1か月で被災、コンテナでの避難生活
古賀: 朝日向さんは輪島市のご出身ですよね。
朝日向:はい。輪島で生まれて輪島で育ちました。専門学校に通うために東京に出ましたが、結婚して、20歳で妊娠して、里帰り出産のために2023年11月に輪島に帰ってきました。ようやく産後1か月が経ったなーというときに地震が起きました。
古賀:……え!?産後1か月で被災した?
朝日向:そうなんです。もう最悪です。
古賀:産後1か月って自分の体もまだ万全ではないですよね。常に寝不足で自分の食事もままならない中、目の前の小さな命をいかに絶やさないかということだけを考えて過ごす日々だと思うのですが、そんな時期に被災したって…。言葉にならないほど大変だったのでは?
朝日向: すごく大変でした。赤ちゃんがお腹にいる頃から「胎児発育不全」と診断されていて。赤ちゃんが小さくてNICU(新生児集中治療室)に入っていた時期もあったので、もう何もかもが不安で。
古賀: どこまでお尋ねして良いのかな…。お家は大丈夫でしたか?
朝日向: はい。潰れることはなかったんですが、古い家なので地震でいろんなものが落ちてきて。「これは中におられんな」と思って外に出たら、案の定みんな外に出てて。田んぼ道で呆然と家が揺れるのを見てるしかできなかったです。でも、外はすごく寒くて。みんなで祖母の家にあるコンテナハウスに移動して、そこから親戚含め十数人でコンテナでの避難生活が始まりました。

(2024年1月3日の夜のコンテナハウス)
古賀:みなさんご無事でしたか?
朝日向:はい、家族や親戚はみんな無事でした。ただ、近くで、家が潰れて亡くなった方もいたりして。
古賀:……
朝日向:近所の家が潰れてしまって。そこのおばあちゃんは外に出られたんだけど、おじいちゃんが下敷きになっとって。おばあちゃん一人では何もできんで「誰か助けてー」って言ってたらしいんですけど、真っ暗やし、私たちも何もできんで。
そのおばあちゃん、いまは仮設住宅にお住まいで、時々イベントにも来てくれるんですけど、来たら必ず泣いていて。「イベントを企画してくれて本当にありがとう」って。旦那さんも亡くなっとるし、一人で仮設住宅で生活して不安でいっぱいやろうなって。おばあちゃんが来てくれたときには、いつも、支援者の方もみんなで泣きながらおばあちゃんの話を聞いています。
古賀:当時、その状況を近くでずっと見ていた朝日向さんもとても辛かったんじゃないですか?
朝日向:辛かったです。私は娘が一ヶ月だったこともあって何もできなさすぎて。若いのにただコンテナでずっと過ごすだけっていうのがすごく辛かった。コンテナの中を整えたりとか、家の片付けとか、周りのじいちゃん・ばあちゃんが70代ですごく頑張っとるのに、若い私がただ一人コンテナにおっていいんかな? みたいなモヤモヤがずっとありました。
古賀: しんどかったですね。
朝日向: はい。しんどすぎて泣きました。ただでさえみんな不安な中、余震で大人もピリピリしているときに子どもが夜泣きしたりして。寒い中、赤ちゃんを連れて外に出るわけにもいかんし。どうしようーって。
避難所には物資も情報も集まるって聞いて、正直、避難所に行きたいなーって気持ちもあったんですけど。すごく悩んだけど、赤ちゃんと一緒やったら周りに迷惑かけるやろうなってコンテナで生活してました。
古賀: 周りの目はすごく気になっちゃいますよね。でも、母親として衛生状態にも一番気を遣う時期ですよね。
朝日向:そうなんです。お風呂に何日も入れてあげられんくて大丈夫かな、とか。飲み水も一応あるけど本当にきれいなんかな、とか。ばい菌とか入っとって病気になったらどうしようー、とか。赤ちゃんが小さいこともあって上手に母乳を吸えなかったので、搾乳器で搾乳してたんですが、男性も一緒にいる中でやりづらいし。母乳を冷蔵保存したいけど、もちろん冷蔵庫なんてないし。哺乳瓶も洗えないし。そういうストレスで食欲もどんどんなくなっていって。周りから顔色やばいよ、って言われてました。
古賀:つらかったですね。
朝日向:一番つらかったのは、何もできんからSNSを見てしまったりして、能登の被害を知らない同い年の子たちが旅行に行ったり楽しんでいる様子が目に入ってきちゃうんですよね。「何が現実で何が夢なん?夢なら早く覚めてくれ!」って、すごい思って。あれはつらかったなー。
古賀: うんうん。つらい。つらいね。ちょっと聞いてて涙が止まらなくなってきた。
朝日向:本当にやばかった。
古賀:ずっとコンテナで避難されていたんですか?
朝日向: コンテナにいたのは4日間かな。その後、知人や親戚の家を転々と移りながら避難させてもらいました。避難した1月4日が自分のばあちゃんの誕生日だったんですけど。まだ余震も続くし、お風呂にも入れんし、誕生日なのに。ほんとにばあちゃんを残して避難していいんかなって。泣きながら避難しました。
古賀: つらいなぁ。
朝日向:もう戻りたくない。
「被災」と「支援」の狭間で感じる思い
朝日向:わたし、PBVが社会人になって初めての就職先なんです。
古賀: あ、そうなんですね!PBVとはどういう出会いだったのですか?
朝日向:輪島出身のPBVスタッフの澤田かをりさんが繋いでくれたんです。澤田さんと私の叔母が知り合いで。「PBVで地元雇用のスタッフを探してるみたいよ」って叔母が教えてくれました。それが2024年3月頃かな。ちょうど私もそろそろ輪島に帰ろうかなと思っとった時期で。そろそろ働かんといけんな、って思ってたんで。
古賀: そうなんですね。お子さんの預け先はすぐに見つかりましたか?
朝日向: はい、澤田さんのお子さんと一緒の保育園に通っています。
古賀: PBVでは具体的にはどんなお仕事を担当されているのでしょうか。
朝日向:県内外から支援を申し出てくださる方々と、被災した方々を繋げるための、各種支援調整窓口の担当をしています。電話で具体的な支援内容をお聞きして、食事支援であれば炊き出し先を検討したり、マッサージやサロンなどの支援であれば公民館でイベントを企画したり。毎日たくさんの方々とやりとりをしています。

(輪島市役所内の各種相談窓口)
古賀:色んな人と関わると世界が広がりますよね。
朝日向: はい。ずっと輪島に住んどったけど、市役所職員さんや公民館の主事さんみたいな、この仕事をしてなかったら関わることがなかった人たちと深く関われるのが有難いです。名前を覚えてもらえたり、遠くから手を振ってもらえたりすると関係性が築けてきてるのかなって嬉しく思います。
古賀: 県内外からの支援者の方々とやり取りをする中で難しさを感じることはありますか。
朝日向: なんだろうな。例えば、水道や電気がまだ全然通っていない時期に、ホームページにも「自己完結でお願いします」って書いてあるのに、「炊き出しをしたいので水も電気も使える調理場を貸してください」みたいな問い合わせがあると、支援者のための調整に手間がとられちゃったりしてモヤモヤすることがありました。
支援者のための支援、みたいな。いろんなズレをどう埋めていったらいいのかな、ってすごく悩む。どこまで支援者側で用意ができて、どこからこちらで用意したら良いのか、電話ですり合わせながら詰めていくのはとても難しいです。散々電話やメールで内容を詰めたのに、いざ支援に来てくださったら「聞いてた内容と全然違うじゃん!」みたいなこともあるし。
古賀:難しいですね。
朝日向:でも、一方で、「輪島はいまどういう状況ですか?」って、最初にまず現場の状況を聞いてくださる支援者さんもいらっしゃいます。いま、輪島の人が何を必要としているのかをちゃんと汲み取って準備してくださる姿を見ると、ほんとに輪島のことを思ってくれてるんだなーって嬉しくなります。
古賀: 嬉しいですね。朝日向さんは、被災者でもあり、支援者と被災者を繋ぐ役割の支援調整窓口でもあるわけで。自分はどの立場にいるんだろう?と悩んだりすることはないですか。
朝日向: そうですね。うーん、そうだなぁ。あんまりどっちの立場にもならないようにしています。 支援者寄りの目線にもならないようにしてるし、被災者目線にもならない。 ちょうどうまい具合にいられるのが自分の強みなのかなと思ってて。両方経験できることってなかなかないと思うので。
古賀:そのバランス感覚すごい!なかなかできることではないですよね。
朝日向:うーん、そうですね。初めての仕事で経験がない分、良い意味で染まってないのかも。あ、でも、輪島の人に「あんたは被災したことないからわからんやろ」みたいに言われると「私も被災者なんだけどなあ」っていう気持ちになったりすることもあります。でも思うだけ。思って終わり、みたいな。
古賀: 辛くならないんですか?
朝日向:うーん。確かに被災しているけれど、県外から支援に来てくださっている方の存在も知っているし。もともと輪島のために働けたらいいなとも思っていたので。あとは、家が倒壊してないことも大きいのかも。
古賀: でも、家に帰ると、まだまだ手のかかる小さいお子さんのママなわけで。弱音を吐きたくなったりしませんか?
朝日向: そうですね。うーん、あんまりないかな。
古賀: すごいなぁ。なんでだろう。
朝日向: 一緒に働いているPBVメンバーが、みんなすごく仲が良くて。年齢差はあるけど上下関係はないというか。お互いにリスペクトしながらも、すごくフラットな関係なんですよね。毎日楽しく仕事をさせてもらえているのが大きいのかな、と思います。

(2025年9月21日フーバーお披露目会の会場設営)
古賀:仕事にやりがいを感じる瞬間はありますか?
朝日向: とにかく色々な人と関われることがすごく嬉しいです。あとは、少し大きめのイベントに携わって無事に終わったときに達成感を感じたりとか。
古賀:いいですね。
朝日向:以前、元プロ野球選手の元木大介さんのマネージャーさんから「炊き出しをしたいです」と電話をいただいたことがあって。数か月かけて何度も電話やメールで打合せを重ねて準備を進めていきました。
残念ながらイベント当日には私はその場にいられなかったのですが、あとで元木さんのYoutubeで住民さんが本当に嬉しそうにしている顔を見たり、後日マネージャーさんから御礼のメールをいただいたりして、なんだか私の方が元気をもらいました。やってよかったなーって。
古賀:それは嬉しい。やりがい、感じちゃいますね!
「誰かが見てくれている」と思えるから前を向ける

古賀:働いていて大変だなって感じることはありますか?
朝日向:なんていうか、私は明るくないんですよ。結構PBVのメンバーは社交的な人が多いんですけど、私は人見知りもするし、人付き合いも得意じゃないので。それで、支援者の方とも、輪島の人とも、時々ちょっと意思疎通が難しいなーと感じることがあったりして。そういうときに、ちょっと大変だなって思うかも。
古賀: そうなんですね。私はお話をお聞きしていて、すっかり朝日向さんのファンになっちゃったけどな。でも、朝日向さんは社会人として働き始めてまだ1年半なわけで。とてもお若いのに、バランス感覚とか、俯瞰的なものの見方とか、本当にすごいなと尊敬します。
朝日向: いやいやいや。先日もちょっと失敗しちゃって。叱られたり注意されたりすると引きずるタイプなので、どうにかプラスに考えて今後に活かしていけるように頑張っていきたいです。
古賀:すばらしい。
朝日向:そんなときに、PBVの存在が原動力になっています。発災直後に県外から駆けつけてくれて、慣れない環境の中で1年以上も活動してくれていることが本当に嬉しい。県外の人がこんなに頑張ってくれているんだから、輪島市民の私も輪島のために頑張りたいなって。一緒に頑張る仲間がいることが何よりの励みになっています。

(2025年10月22日フーバーに使う物資の仕分けと商品登)
古賀: 私は東京でPBVを支援してくださる方々とのコミュニケーションを担当しているのですが、私たちの活動って、本当に支援者の方々からの具体的なご寄付によって成り立っているんですよね。これだけ物価が高くなり、誰もが生活が苦しくなってきている中で、それでも、私たちの活動が社会に必要だと信じて応援してくださっている方々がいる。本当に有難いことですよね。
朝日向:はい。この今の活動を続けられているのは、本当に、支援者のみなさん、災害支援サポーターの皆さんのおかげだと思っています。見えないところで支えてくれている人がいることが何よりも励みになっています。誰かが見てくれている、応援してくれている、と思えるだけで前を向けるので。本当に心から感謝してます。
古賀:やだー、また涙が出てきちゃった!
朝日向・古賀:ふふふ。
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朝日向さんのインタビューを、最後までご覧いただきありがとうございました。
被災を経験しながら、支援者と被災者をつなぐ現地スタッフとして活動する朝日向さんの想いを改めて聞くことができ、同じチームの一員として、勇気づけられます。
現在、PBVでは災害支援サポーターキャンペーン2025を実施中です。

このキャンペーンでは、災害支援サポーターの仲間を新たに50名募集しています。また、すでに「災害支援サポーター」としてご支援いただいている皆さまには、可能であればご支援額の増額や、ご友人・知人へのご紹介など、さらに一歩踏み込んだご協力をお願いしています。
朝日向さんが話していた通り、見てくれている方、応援してくれている方がいてくださるからこそ、前を向いて活動することができています。
ぜひこの機会に、災害支援サポーターへのお申込みをご検討いただけますと幸いです。
執筆
公益社団法人ピースボート災害支援センター
広報・ファンドレイジング担当
古賀 早織/島 彰宏
