PBVとして初めて立ち上げたクラウドファンディング「コロナ禍でも被災者を支えたい!#1人の100歩より100人の1歩」が、先月末をもって、総勢446人の皆さまからの惜しみのないご支援・ご声援のおかげで無事、最終日に達成し終了しました。
改めて、スタッフ一同より、心から深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました!
コロナ禍で始まった設立10年目の今年。心新たに活動をより一層まい進していくためにも、「今だからこそ」という強い想いでこのクラウドファンディングを立ち上げました。本編は、沢山の方々からの温かいご協力を頂いたこのプロジェクトを、担当者が振り返ります。
1.被災地の課題が可視化されにくい今だからこそ立ち上げる
新型コロナの終息が見えない中、寄付によって支えられながら、2019年に台風被害に遭った千葉県や2020年豪雨災害に見舞われた熊本県などで、復旧・復興のための支援活動をずっと続けてきています。
昨年以来、被災地では自然災害の被害と新型コロナの影響がかけ合わさった複合災害に見舞われることとなりました。人の往来が制限され、緊急期の災害支援活動に人手を思うように募ることが難しい今だからこそ、支援を止めない為にできることはないか。また、支援者もメディアも移動に制限・配慮が求められている今だからこそ、新型コロナ禍で試行錯誤をしながら被災地での支援を続ける私たちが、住民の方々の声をより広く届け、災害支援現場の課題をできるだけ多くの人に知ってもらいたい、という強い気持ちが下支えとなり、このクラウドファンディングの立ち上げに至りました。
また、今回このプロジェクトの伴走をしてくれたREADYFORの担当キュレーターの方から、「(プロジェクトの立ち上げ期間の2月中旬ごろを指して)時期柄もあり、今は災害や被災地に関するクラウドファンディングは比較的多いですよ」という言葉が私たちの背中を押してくれました。PBVが立ち上がった10年前。東日本大震災直後から宮城県の石巻市・女川町に入り国内外の数多くのボランティアと共に活動してきました。PBVの起点ともいえる場所です。「お互いさま」と顔を突き合わせて、被災地域の方達とともに多様な支援者が少しずつ力を出し合うことで支え合いながら、少しずつ前に進んできたこれまでの10年を思い返しながら、様々な被災地で繋がった方々と再び出会う機会となりました。
それから、限られた準備時間の中で、クラウドファンディングを通して被災地の住民の方々の声を届けるために、これまでの活動内容を棚卸しし、伝えたいメッセージにしていく作業が始まりました。とくに、プロジェクトページに最新の情報を記載するために、2020年7月豪雨の熊本に入っていた現場スタッフにヒアリングをした電話が忘れられません。
「ボランティアの募集が出来ず復旧作業に入れないことを住民さん伝えると、『新型コロナだから仕方ないですね』とすんなり理解してくださる。けれど、発災からすでに半年以上が経って、まだ元通りの生活がままならない安心できない家のままなのに、本来こんな事があってはいけないと思う」
これまで緊急事態宣言によってボランティア募集を呼びかける範囲に制限がかかり、復旧作業がこれまで以上に時間を要する現場で、日々葛藤しながら活動している事を刻々と話してくれた中で、時たま悔しさや困難さをかみしめるような声でした。
被災地の声を沢山の人に届け、コロナ禍でも支援を止めないための共通認識を一人でも多くの人達と結んでいこうと、改めて胸に刻みながら、クラウドファンディングの期間がスタートしました。
2.沢山の人達から想いが寄せられた3月:被災地を通じて再び繋がる
「災害は多様な人達との力が合わさって徐々に乗り越えていけるもの」―――そんな言葉を体現するように、期間中に温かいご支援を寄せてくださったり、快く情報拡散や応援コメントをくださったりする方々は、実に多様な方々であることに改めて気付かされました。
「あの時は来てくれてありがとう。次は私たちが被災地の力になりたい」
出会った頃のような温かさで、コロナ禍やこれからの災害を思い、恩送りをしてくださった、被災地で出会った住民の皆さん。クラウドファンディング期間中の3/13に、石巻・女川と東京を繋いだライブ企画「東日本大震災から10年:私たちの石巻にいた時間 『いま、だれに会いたいですか?』」では、あの頃からずっとかけがえのない繋がりで私たちに元気をくれる、住民の方々の温かい笑顔に出会うことができました。
「コロナ禍で被災地に行けないことがもどかしい。駆けつけたつもりで支援します!」
かつて被災地に駆けつけてともに活動した災害ボランティアの皆さん。「懐かしいな~!あの時駆けつけてくれたんだよね!今元気かな?」と、寄せていただいた、被災地を想う熱い応援コメントを読みながら、スタッフ同士で懐かしむこともしばしばありました。
「災害は毎年必ず起こるからこそ、これからも一緒に頑張りましょう!」
日頃から地域の為に細やかなご活動され、被災地で私たちを手をとり共に活動してくださる、社会福祉協議会をはじめ行政や自治体の方々からは、背筋が伸びる嬉しい激励を多数頂きました。
他にも、PBVの研修やワークショップを通して一緒に防災・減災について考えてきたトレーニングプログラム修了者の皆さんや、災害が起こるたびに支援のお申し出をくださる企業や団体の方々、福島カツシゲさんや吉俣良さん、SUGIZOさんなど 長年ともに被災地を支えてくださっている著名な方々などからの応援いただきました。活躍されている分野やセクターも違えば、住んでいる場所も日本や海外へと広がっていました。そして、今回PBVのことを初めて知り、コロナ禍だからこそ支え合わなければという真摯な思いとともに、快くご支援をくださった方も大勢います。
「災害も、感染症も、孤独も乗り越えるのは連帯と思いやり」
「被災して半年以上経った今も不安な日々を過ごされている方々がおられ、自分にできることはこれくらいしかありませんが…少しでも早く安心して過ごせるように」
「みんなに聴こえるように、頑張ってください!」
災害は一瞬で人を支援する側にも、支援される側にもします。あるスタッフの言葉です。だからこそ、誰が特定の人が踏ん張り続けるのではなく、みんなが少しづつ分け合って助け合う必要があります。「お互いさま」というキーワードで支え合いの輪がクラウドファンディングを通して広がっていく日々に励まされながら、これからもっと多種多様な人達と積極的に繋がりともに災害対策を行っていく重要さを感じました。
3.38日目:最後の最後の日にみんなの力でゴールイン!
「クラファンが始まって、毎日達成状況を確認するのが日課になっていた」
「ハラハラドキドキしながら見守っていたよー」
無事プロジェクトの目標が達成してから、ホッと笑い交じりに声を掛けてくださる方も少なくありませんでした。スタッフ一同、正直に申し上げると最後の最後まで焦っておりました。皆様のお支えのおかげで達成が叶って、本当に良かったです…!(嬉し涙)
最後の最後に駆け上るように目標を達成することができたのも、私たちの手を取ってくださり被災地で一緒に試行錯誤しながら協働してくださっている被災者の方々が、自らの経験や想いを声にして届けてくださり、そのパワーが多くの人に伝わったからこそだと感じています。新型コロナの感染拡大の影響は、報道するメディアにとっても移動の制約となり、被災地の状況を取り上げることが中々できていない現状があります。クラファン終了のちょうど1週間前の3/24に、Choose Life Project が2020年7月豪雨災害の現場を取り上げてくれました。ライブ配信「コロナ禍の災害支援はどうあるべきか? “伝えられていない“被災地から」でも、課題意識として共有されました。
私たちは日々、メディアのおかげで日本や世界各国で起きている事を瞬時に知ることができますが、一方で、情報が流れていく速度や頻度によってはすぐにニュースの内容を忘れてしまいます。発災直後は注目される自然災害は、時間を経ると報道が少なくなり被災地への社会的な注目も減少していきます。それに伴って支援の手も減ってしまいます。もっと言えば、災害が起きていない平時から、いざ災害が起きた時にすぐ現場に駆けつけるための準備資金を募ることは、いつも手ごわい課題だと感じています。
誰しもが災害に遭う可能性があります。被災してしまう事は辛くしんどいことですが、そのとき経験したことや災害に対する思いが、次に災害に遭う誰かを守れる大きな力をもっています。
被災地に通い続ける私たちも、被災した住民の方々一人ひとりと一緒に社会に発信しつづけたいと思います。
446人の大きな一歩が、今後1千人、1万人、1億人の一歩となり、すべての人々が互いに助け合える社会で、自然災害がもたらす困難に立ち向かう力になると信じています。