住民の皆さんから感謝状をもらった陽子さん(写真左端)と和美さん(その隣)。(5/29 石巻専修大学にて)
ピースボートが石巻で支援を開始してから延べ10万食という炊き出しをおこなってきたキッチンスタッフ。AD(アシスタント・ディレクター)として長く活躍する森永陽子さん(キッチン担当)と北村和美さん(自活支援担当)の1日を追いました。
ADとは、5人1組ほどで構成されるいくつものボランティアグループをまとめる責任者のこと。ピースボートでは、その人の得意分野に合わせ、作業別にAD を置いています。現場に長く残り、これまでの活動の変遷を知り、現場に人脈を持つ彼ら彼女たちは、安全かつ効率的な活動を進める要のポジションです。
朝8時、セントラルキッチンがある廣山に到着すると、早くも厨房付近には準備を始めている陽子さんの姿がありました。手際良く動く姿は、これまでの経験と管理栄養士の資格を持つ責任感がうかがえます。
一方、こちらはキッチン&デリバリーADの和美さん。この日、運ぶ食材や調味料の割り振りを考えています。調理師免許を持ち、その経験で長くキッチンを支えてきました。また長く続けてきた炊き出しやデリバリーは、現在では、住民の皆さんと一緒に料理を作ることで、楽しく集まれるコミュニティづくりの意味合いも持ちます。まさに、彼女の気さくな人柄が発揮される活動と言えます。
調理を始める陽子さん。今日のメニューはチャーハンと中華スープ。
限られた時間の中で大量の料理を作っていくため、前日に材料の仕込みを行い、当日は作業がスムーズに進むよう、事前の段取りができています。
330人分!のチャーハンは、こんな大鍋でのスクランブルエッグ作り。
今日の炊き出しは黄金浜地区と女川町。それ以外にも、自活支援として昼と夕方に千刈田地区と新館地区で芋煮会やバーベキューをおこなうとのこと。現場にも向かう和美さんは特に大忙しの1日でした。
出来上がった料理がデリバリーチームによって車に積み込まれます。
現場で足りなくならないように、かつ余らないように。出発前には、盛り付け量の見本まで。
準備を終え、和美さん自ら運転して芋煮会とバーベキューの会場へ
時には住民の方から嬉しいプレゼントも。手作りのハンカチ&ティッシュ入れをいただきました。
週1-2回しか訪れない場所でも、長く顔を出し、支援を継続してきた結果が信頼を産み、住民の皆さんから受け入れてもらえる環境を作っていきます。この日初めて来られた年配の女性からは、「家で塞ぎ込んでいるだけじゃダメね。今日来て本当に良かった。また来ますね!」と。
全ての調理と片付けを終えたキッチン。2階ではパソコンに向かって在庫を確認しながら食材の発注をする陽子さんの姿がありました。支援物資として届いた食材以外にも、栄養バランスを考えて必要な材料はたくさんあります。数日後までのメニューを作成し、ちゃんと食材を管理するのも大切な仕事です。
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2人のインタビューをどうぞ。
Q:
出身、前職、好きなものなどを教えてください。
陽子さん:
神奈川県の鎌倉出身の管理栄養士です。大学などで講師などもしていました。音楽が好きでライブにもよく行きます。今日は大好きなバンドの横浜ライブがあるので、心がそっちに行きかけてます(笑)。
和美さん:
同じく神奈川出身で、ニュージーランドに7年間ほど住んで、調理士として働いていました。
Q:
ピースボートの災害ボランティアを知ったきっかけは?いつから参加しましたか?
陽子さん:
震災後からいろいろ探していて、ホームページやツイッターでピースボートの活動を知りました。居酒屋のトイレとかでポスターで、世界一周のことは知っていたのですが、災害ボランティアまでやっているのは意外でした。第2次のボランティアで石巻に入ったので、4月2日から来ています。
和美さん:
ニュージーランドにいて、ホームページを見て知りました。ピースボートのことは全く知らなかったので参加する前にいろいろ調べましたが、良くも悪くもいろいろ書かれていて(笑)。まあ、自分の目で確かめてみれば良いのだし、それだけ注目されている大きな団体なんだと逆に行く気になりました。帰国して、ゴールデンウィークの第6次から参加しました。
キッチンの冷蔵庫に貼られた陽子さんの似顔絵。柔らかい人柄が出ています。
バーベキュー会場で笑顔で料理する和美さん。 元気で明るい人柄で周りを盛り上げます。
Q:
最初に石巻に来た時の印象は?
陽子さん:
正直「ここが日本か?」という感じでした。人通りもなく薄暗い映画のセットのような印象で、被災されたおじさんから「何でこんなところに来たんだ?」と聞かれたのを覚えています。
和美さん:
テレビを観るよりも現地で生で見て衝撃を受けました。市街を見渡せる日和山公園からの景色を見て涙が出てきました。
Q:
もともとキッチンで活動したいと思っていたんですか?
陽子さん:
当初は何でもやるつもりでしたが、炊き出しに関われればいいなぁとは思っていました。初めはクリーンチームに入り清掃作業、小さな商店の前でラジオを配ったりといった活動もしました。
和美さん:
ずっとキッチン希望でした。長く活動したいと思っていましたが、以前ヘルニアの手術をしたこともあって、クリーンだと1週間ぐらいが限界かなとというのがあったので。
Q:
やりがいや嬉しかったこと、つらかったことがあれば教えてください。
陽子さん:
最初はものすごい調理量(ピーク時は1週間で7,000-8,000食!)で、キッチンから出られずにとにかく必死に作っていたので、ミーティングでのデリバリーメンバーからの現場報告がすごく嬉しかったです。メンバーが増えたりして落ち着いてきたこともあって、外に出られるようになってから住民の皆さんとコミュニケーションを取れるようになったことが新しいモチベーションになっています。繋がりができて信頼関係ができて、少しずつ話をしてくれるようになったことが嬉しいです。
和美さん:
当初から避難所のケアなどもしたいと思っていましたが、以前はキッチンを抜けられるような状況ではありませんでした。今は、自活支援として住民の皆さんと一緒に作って一緒に食べられるような環境ですごく充実しています。つい最近、好文館高校の避難所で「ピースボートが来てくれて本当に良かった。もしいなかったら、こうやって一緒に作ったり食べたりしようなんて思いもしなかったと思う。希望の芽は自分たちで見つけられたが、そこに水をくれて育ててくれたのはピースボートだよ。和美ちゃんなんだよ。ありがとう。」と言われたことが本当に嬉しかったです。つらかったことは・・・、特に無いですね(笑)
Q:
今までの活動を振り返って、今後どう関わっていきたいかは考えていますか?
陽子さん:
長く活動に関わっていく中で、町の様子が復興に向けて変わっていくのが見れたり、他のメンバーたちの頑張りを知れたりして、一緒に喜び合えるのが何よりも嬉しい。避難所の方もとても元気だったり、逆にパワーをもらったりしています。もうひとつの故郷になった石巻には、来年、3年後、5年後、またちょくちょく来たいなぁと思っています。
和美さん:
いま続けている炊き出しも、近所のお宅を一軒一軒訪ねて広めてきました。炊き出しはいずれ終わりになりますが、それで「ハイ、終わり」となるのは嫌なんです。これからもそれぞれの地区で在宅者の集いの場を作り続けたいと思っています。料理をツールにしてみんなをハッピーにしたいです。
廣山(セントラルキッチン)への移動前、石巻専修大学の屋外キッチンで最終日に、子ども達からもらった感謝の手紙。
キッチンのボランティアメンバーが作り、デリバリーのボランティアメンバーが届ける炊き出しが「生きるための料理」から「人と人のつながりを生む料理」へと変わっていったのは、半年という時間によってだけではなく、そこを支えている2人の存在も大きいな、と感じたインタビューでした。
All photos by Mitsutoshi Nakamura