2024年奥能登豪雨から1年&新プロジェクト「FOOBOUR -わじま港-」開始!

2024年1月1日に発生した石川県能登半島地震。その9か月半後の9月21日、追い打ちをかけるように奥能登豪雨が発生しました。

復興に向けてこれから、という矢先の豪雨被害。

修繕された国道や県道は、河川の氾濫や土砂崩れなどで、再び通行できなくなりました。また、断水も発生し発生しふたたび簡易トイレや自衛隊の入浴施設に頼る生活に逆戻り。各家庭では、新車の購入や、家の修繕をはじめた矢先に浸水被害に遭い、、重なる災害により再建の見通しがたたなくなり、不安や金銭面の負担などが膨らんでしまいました。

住民さんや行政、社協職員の方々の心も折れ、つらい声が多く聴こえるようになってしまいました。

その奥能登豪雨災害から1年が経ちました。

PBVは地震から継続して珠洲市と輪島市に常駐し、必要な支援活動を続けてきました。この1年の歩みを振り返るとともに、本日、2025年9月21日より始動する新プロジェクト「FOOBOUR -わじま港-」についてご紹介します。

 

9月21日、奥能登豪雨発生

能登半島地震の被災地を襲った記録的な大雨は、さらなる被害拡大をもたらしました。PBVが常駐し支援活動を実施している輪島市、珠洲市では河川の氾濫や土砂崩れなどの被害が発生しました。

珠洲市は、市内8カ所の河川が氾濫、土砂崩れにより4地区が孤立、約1700戸が断水。家屋はじめ、仮設住宅も浸水被害に遭いました。

輪島市町野町では、中心部を流れる鈴屋川があふれ、地震で残っていた家屋や納屋も流されてしまいました。地震で亀裂が入っていた山では山崩れが発生してしまい、一時は復旧していた町野町までの道もふたたび通れなくなってしまいました。

当時、地震によって被災していた多くの方々が、まもなく仮設住宅での新しい生活を始めるというところでした。これからという時でした」という入居者の苦しい声(※動画)や、住民さんも職員も、心が折れかけている」という輪島市役所職員(※動画)の方のつらさが聞こえます。

<当時の動画>
「市民・市の職員だけでは復旧のハードルが高い」輪島市役所職員
「今回はさすがにまいりました…」輪島市・彩華亭の店主
「地震の比ではない被害を受けてしまった」孤立していた輪島市大沢町の避難者
【現地レポート】「水害は復旧まで時間がかかります」

短期間での二度目の災害だからこそ、諦めの気持ちが大きく、なおるはずの家を公費解体してしまった方も多くいました。
どうすることが住民の方々にとってよりよい形なのか、現地スタッフも苦悩しながら、できるだけ寄り添える支援を目指し活動を進めました。

 

地震支援からの連携を、豪雨支援の初動に展開

現地では、地震の支援に入っていた団体も被災し、一時は孤立地域にとどまらざるを得ないPBVスタッフもいました。

しかし、直後からすぐに行政、社協、支援者による三者会議を開催。珠洲・輪島にて地震支援で連携してきた体制をベースに協力し、被害情報の把握と共有、断水地区への水や簡易トイレなどの物資支援、避難所の運営支援、各施設復旧のための清掃などを実施しました。

《珠洲市での活動内容》
・災害ボランティアセンターでの技術系ニーズのマッチング
・避難所まわりの環境整備(清掃)
・FOOBOUR(フーバー)物資提供
・食事、飲料水、生活用品の配布
・支援調整
など

《輪島市での活動内容》
・避難所の開設や避難者の受け入れ
・食事、飲料水、生活用品の配布
・通信環境の整備
・施設復旧の為の泥出し、清掃
・支援調整
など 

また、発災翌日より緊急支援募金をスタートし、国内外からお力を寄せていただきました。地震から継続してさらなるご支援をくださった方も多くいらっしゃいました。

 

復旧と復興にむけての動き

【輪島市】新設された仮設住宅が浸水

地震で建設された仮設住宅も被災しました。入居したばかりの方がほとんどで、新生活のために揃えた家電などの家財が水浸しになってしまい、廃棄せざるをえない状況に追い込まれていました。

 さらには仮設住宅の修繕工事のために一時退去し、ふたたび避難所や他の地域で避難生活を送らなければなりませんでした。その修繕工事が完了して再入居ができるようになったのは、豪雨から3か月後の12月26日のことでした。

 

【珠洲市】 『FOOBOUR(フーバー)』の再開と終了

被災者が24時間いつでも物資を受け取れるキッチンカー『FOOBOUR』は、2024年5月6日から珠洲市大谷地区に設置されていました。豪雨の影響で、フーバーを設置していた地域は被災し、断水、停電。冷蔵・冷凍品が保存できないため、一時的に水や常温保存の食料、仮設トイレなど生活雑貨を配布していました。9月25日に電気が通り、冷蔵・冷凍品も稼働を再開しました。

※FOOBOUR(フーバー)とは
 ⇒ 公式サイト

『FOOBOUR』は2024年5月~2025年3月31日の終了までの間に、延べ3,400人以上の方に活用いただきました。珠洲市社会福祉協議会、珠洲市、地域の方々、連携団体をはじめ、たくさんの企業さまからのご支援をいただき、11カ月という長期間、支援活動を実施することができました。 

 

【輪島市・珠洲市】避難所生活の環境整備

豪雨の浸水被害で仮設住宅から避難所生活に戻ってしまった方や、仮設住宅に入る予定だったけれど建設スケジュールの遅れによりさらに長い避難所生活を余儀なくされる方もいました。また、豪雨で被災された方が生活するための仮設住宅がさらに必要になりました。

珠洲市で水道の復旧ができていない避難所では、給水による避難生活が続いていました。珠洲市に常駐するPBVスタッフは、FOOBOURへの食料の補充や、避難所への物資輸送の活動を継続しておこないました。

輪島市の避難所では、10月6日、プライバシーを確保するためにパーティションを設置しました。しかし、課題もあります。

一方で、地震の支援活動によって各団体の連携がとれていたことにより、避難所の食事手配はスムーズにおこなわれました。輪島市では地震では食事の供給までに1か月以上かかっていましたが、豪雨の2日後には地元の飲食店と協力し、食事の配布を実施しました。地域との繋がりにより、地元資源をいかした災害支援をすぐに形にすることができました。

その後、2025年4月13日に輪島市内のすべての避難所が閉所になりました。閉所に伴い、PBVの「避難所運営」支援も終了しました。

これだけ長く避難所が開設されるのは、東日本大震災から初めてのことでした。

 

【輪島市】入浴支援「まちのの湯」の再開と終了

自衛隊の入浴支援終了を受け5月30日に輪島市町野町にオープンしていた「まちのの湯」。豪雨により泥だらけになり休止していましたが、地元の方や自衛隊、ボランティアの方により10月7日に再開しました。

利用者は町民、工事関係者、行政職員など1日に70~100人が汗を流しました。町民アルバイトの力も借りて運営を継続していましたが、2025年2月28日をもってその役割を終えました。277日間の運営のうち、豪雨や悪天候の影響で18日間はお休みしましたが、それでも町野の住民を中心に、延べ22,586人もの方々にご利用いただきました。

 

1年後、ふたたび迎えた出水期と豪雨

梅雨明けを過ぎた7月には、天気の良さの一方で、また水害が起こるのではないかという不安がありました。地震と豪雨災害により地盤がゆるんでいるため、土砂崩れや河川の氾濫の懸念も広がります。

PBVは輪島市と連携し、支援物資の整理や次の災害への備えを進めました。特に、地震で内部が散乱したままの水防倉庫の整備は急務。必要なものはすぐに取り出せず、備蓄品も入れられない状況でした。この整理を学生団体TSUNAGのみなさんにも協力いただき、片付け・整備を行いました。

しかし2025年8月、能登半島はふたたび豪雨に見舞われてしまいました。8月6~12日にかけて降り続いた雨は、前年9月の大雨の雨量を超えたそうです。二度の災害に心が折れそうになりながらも前を向いてがんばってきた奥能登の方たちからは、「またか」の声がありました。

その影響で、珠洲市内では川の増水、一部冠水、土砂災害が発生。行政から「大雨による断水が心配」との連絡を受け、急遽、連携団体とともに、断水の可能性がある地域の在宅家庭へ飲料水の配布を行いました。

幸い、人的被害、住家の床上浸水は免れましたが、住家の床下浸水や土砂災害、冠水による通行止めが発生。またしても、能登半島に大きな爪痕を残しました。

 

これからも続く支援活動

地震と豪雨。ふたつの大きな災害がたて続くことはまれなことでした。
罹災証明書に「地震および水害」と『および』という表記がつくことは初めてのことで、国や県をふくめて制度設計のすりあわせを行う必要がありました。

皮肉にも、何度も災害が起こったことで協力し合える連携体制があります。共に手を取り合い、今も支援活動を続けています。

輪島市では、行政に伴走しながら支援調整などを行うほか、交流拠点「まちのの間」の運営を行っています。2025年5月13日に町野町の東大野プール駐車場内にオープンし、避難生活が続く方々にとって新たなコミュニティとなっています。

珠洲市では、珠洲市社協災害ボランティアセンターでの運営支援を継続しており、届いた依頼は9月17日時点で8458件(うち、地震7734件、水害777件)。継続的な片付けの対応や、業者がなかなか来られず雨漏りがひどくなってしまったお宅の応急的な家屋対応など、さまざまなニーズが今も続いています。

 

今後も私たちは、引き続き関連団体と協力しながら、中期的な支援のために、被災者の生活再建に関わる「コミュニティ形成(サロン実施ほか)」「被災家屋の応急対応・保全」「災害支援のノウハウ提供や支援調整」などに力を入れていきます。

『これまでの能登半島災害(地震・豪雨)での支援活動レポート』
こちらよりご覧ください

 

新プロジェクト「FOOBOUR -わじま港-」をスタート

奥能登豪雨から1年を迎える2025年9月21日、石川県輪島市でひとり親家庭への支援を行うキッチンカーとして新プロジェクト「FOOBOUR -わじま港-」をスタートします。

このプロジェクトは、災害で心と経済的な負担を抱える輪島市のひとり親家庭が、時間や人目を気にせず24時間都合が良いときに、車内に保管されている寄贈いただいた品(食品・日用品)を無料で持ち帰ることができます。

 

共に支える「FOOBOUR サポーター」を募集します

「FOOBOUR 」プロジェクトを支えるサポーターを募集しています。
くわしくは「FOOBOUR」公式サイトをご覧ください。

 

協力いただける企業を募集します

これまで能登半島における支援では、さまざまな企業から食料品・日用品などをご提供いただきました。それは被災された方々にとって、日々を生きる大きな力添えとなっています。

今回の「FOOBOUR -わじま港-」ではあらたに、ひとり親家庭を支援するため、食料品・日用品などを提供してくださる企業を募集しています。

ご協力いただける企業は、PBV事務局までご連絡ください。

 

長期的なご支援をお願いいたします 

「2024年石川県能登半島地震・奥能登豪雨 緊急支援募金」ご寄付はこちらから

 

「災害支援サポーター(※現在キャンペーン実施中)」はこちらから

今後の長期にわたる支援は、継続的に支えてくださる「災害支援サポーター(マンスリーサポーター)」のお力が大きな助けとなります。ぜひ、長期的なサポートにご協力お願いします!

一人ひとりの復興の歩みがあるように、私たちの支援活動も一歩ずつ。

皆さんの温かいご支援が、この地で暮らす方々の安心に繋がっています。 継続的なご支援、ご協力をどうぞお願いします。

 

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