【熊本地震から4年】 自分の住む町のためになれる仕事へ

2016年4月14日の前震、16日の本震と、熊本県を中心に起こった震災から4年の歳月が経ちました。激震に2度襲われ、災害関連死を含む275名の亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。被災された皆さまならびにご家族の皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

 

 

 

3月に熊本を訪れた際、街のいたるところで建設中の家屋を目にしました。災害で自宅を失い、4年経ったいま、いまだ自宅の再建ができない状況にあることをどれだけの人が想像できるでしょう?

現在も約4,300人、1,800戸以上の被災者の方が仮設住宅で暮らしています。仮設団地にお住まいの方に話を伺うと、5月には退去できる予定だったそうです。しかし、新型コロナウイルスの影響による設備機材の調達の遅れなどで住宅建築に時間がかかっており、退去の見通しが立たなくなってしまったと…。目に見えない不安に世界が覆われる中、一人ひとりが様々な思いを持ち、日常を取り戻すため必死に戦っています。

 

PBVでは、さらなる復興をお祈りするとともに、苦しい時こそ皆さんに少しでも元気をお届けしていきたいと思っています。今日は、震災の経験をきかっけに、熊本県益城町の自治体職員になることを決めた、当時大学生だった桑原さんのお話をご紹介します。

 

当時、桑原さんは大学4年生でした。
大阪府内の大学に通っていた彼は、前震で益城町にいる両親が心配になり、熊本へ戻りました。その直後、本震に見舞われ数日間は車中泊での生活を余儀なくされたそうです。その後、生まれ育った町の状況をみて、20年以上住み続けた地域に対して、何か自分にも貢献できることがあるんじゃないか?と、思い大学を休学。当時、育った小学校の避難所へ行き「僕にも何か手伝わせてほしい!」と、ボランティア活動をスタートしました。

 

 

そこは、PBVも避難所運営の支援活動に入っていた益城町広安小学校でした。
多くの方々が困難な状況におかれている中、食事や物資の配布、掃除などを積極的に行い、時には悪ふざけをし怒られながらも、一緒に活動していた高校生や中学生、小学生のお兄ちゃん的リーダーとなり、避難所に勇気と元気を与え続けてくれました。
この子どもたちの姿に後押しされ、
「大人がこのままじゃいけん!」
「子どもたちに食事配布をさせるのではなく、子どもたちに食べさせることが大人の役目だ」
と、災害から1ヶ月近く経ち、ようやく多くの大人たちが動きだしたのだと避難者の方々は口をそろえて仰います。

 

 

 

 

当時を振り返り彼は、
学生だからこそ「とりあえずやってみよう」「失敗してもいいからチャレンジしてみよう!」と、大人にはできない、子どもの柔軟な発想やアイデアに活かして行うことができたと言っていました。

 

そして、桑原さんは今、益城町役場の職員となり町の復興のためのご尽力されています。元々、スポーツ関係の仕事に就きたいと大学を専攻されていましたが、避難所にいた役場の職員の姿を見て、震災をきっかけに公務員の道を歩まれました。

 

▼【動画】震災をきっかけに、地域に尽力できる公務員へ