佐賀県大町町での出会いのインタビューシリーズ第6弾は、大町町の恵比須地区にお住いの香月やよい(かつきやよい)さんです。創業100年を超えるお餅屋さんを切盛りし、町民から愛されるお餅を毎日作っています。
「香月饅頭」は大町町で100年続く歴史あるお店ですが、2019年と今年の水害で2度被害に遭われました。
香月さんは大町町にほど近い小城市の生まれ育ちです。高校卒業後、お魚屋さんで働いていましたが、友人の紹介で現在3代目となる店主とご結婚され、ご夫婦で共に営まれています。1986年から香月饅頭で働くことになり、以来、35年間お餅を作り続けています。当時のお話を伺うと、大町町が炭鉱の町として栄えていたころは、どんな商売をやってもうまくいったと言います。その頃は六角川に船を出す事業も行っていたそうです。
お店は、2年前の水害では床下浸水でしたが、今回は床上40センチの被害でした。畳が水で浮く様子を目の当たりにし、床下浸水と床上浸水の被害の違いを痛感したと言います。長年使っていた何百万もするお餅を作る機械も、浸水によって壊れてしまい、なんとか部品の修繕だけで再び動くようになったことで、お店の早期再開に繋がりました。
発災当日は夫と2人でなるべく家財を2階に運び、自宅で避難をしていました。まさかこんなに水位が上がるとは思っていませんでしたが、なんとか2階で難をしのぐことができました。水が引くまでの2日間は2階で生活し、その間ちゃんとした食事は摂れなかったそうです。被災した様子を写真に残さなくてはと、浸水した1階を歩いて写真を撮っていましたが、流れ込んだ水に雑菌が入っていたのか、その後数日間は足の腫れが引かず大変な思いをしました。
被災後、友人が手作りのお料理を何度か持ってきてくれて、そのおいしさに涙が出ました。しっかり食べないと乗り越えていけないと思い、それ以降、食事はちゃんと摂るように心がけています。
水害直後、店の前に家財を搬出したり作業をしていると、通りすがりの常連さんたちに『香月さん、お店やめちゃったの?』と何度も尋ねられたそうです。そのときになるべく早くお店を再開することが、被災された住民のためになるではないかと思い、発災から2週間で営業を再開させました。お店兼自宅の復旧作業は続いていますが、想いに応えることが自身の元気の源になっていると話してくださいました。
2年前は水害に加えて、鉄工所からの重油流出による被害もあり、特例で罹災判定が高くでました。その分の補償もありましたが、今回は水害だけなので、前回よりも浸水高が上がっているのに補償は下がってしまいました。地元の大工さんも予約でいっぱいで、まだいつ来れるのか分からない状況が続いています。お金のやりくりをなんとかしないと、元の生活を取り戻すことはできないと辛い表情を浮かべていました。
二度三度とまた水害にあうかもしれませんが、そんな覚悟なんてできないと仰います。昨年から新型コロナの影響で行事などはのきなみ中止され、売り上げは激減する中での被災に、『本当にしんどい』と言葉を詰まらせていました。いつまでこの状態が続くかと心配になりますが、出来る限りこの場所で夫と一緒にお餅を売り続けたいという思いがあります。
香月饅頭は恵比須地区の支援交流拠点であるPeri.(ペリドット)の斜め向かいにあります。もともとPeri.は地域の防災拠点や住民さんの相談に乗れる場所として開設予定でした。そのときは「何か相談が出来る場所ができるんだ」というくらいの認識でしたが、被災後はすぐに相談できる場所が近くにあることに本当に助かっていると仰っています。いろいろなスタッフが寄り添ってくれるから元気でいられるし、心のよりどころのような場所になっているそうです。
香月饅頭の自慢は、毎日豆からつぶしてつくるあんこです。あんこの作り方は夫しか知りません。本当に手のかかる作業で、「割に合わない仕事」だと、笑っていました。それでも変わらない値段で、変わらない製法で提供し続けるのは、香月饅頭を愛してくれる住民さんがいるからです。コロナ禍でも、被災しても、同じものを届け続けることに意味があります。これからも一歩ずつ先に進むしかない、そう覚悟を決めて、今日もおいしいお餅を作っています。