【インタビュー連載④】コロナ禍の避難所支援~住民さんの声に寄り添い続けること~

2020年7月豪雨で被災した熊本県球磨村。PBVでは8月16日から11月10日まで、球磨村の村外避難所である旧多良木高校避難所の支援を行ってきました。今回、コロナ禍で初めての災害対応となりました。球磨村での支援を振り返り、現地で活動したスタッフに話を聞きました。

インタビュー第4回目は、井上綾乃さん。彼女はPBVでは緊急支援チームで活動をしています。災害時には現地へ駆けつけ、常駐支援にあたるため現場対応の経験も豊富ですが、コロナ禍での災害支援は初めての経験となりました。

 

 

ー初めて球磨村を訪れた時の印象を教えてください。
被災から1ヵ月後に現地に行きましたが、「まだこれしか復旧が進んでないのか」という印象でした。やはり新型コロナウイルスの影響の中、なかなか人が集まることができなかったのが原因の一つだと思います。また当初は、隣接市の人吉市に立ち上がった災害ボランティアセンターが球磨村地域の支援も合同で行い、そこからボランティアの派遣を行っていたので、移動に時間が取られ、実際の作業時間は数時間しかできていませんでした。球磨村は村全体が被害を受けていて、まるで津波が来た後のような街並みが広がっていました。線路も寸断されていて、復興までの道のりは長いと感じました。

ー球磨村は高齢化率も高いですが、高齢の方々が家を失うということは、若い世代が家を失うのと違った感覚がありますよね。
そうですね。年齢に関係なく、被災からの再建は本当に大変なことだと思います。自分事として考えても、まだ若ければ家を失っても、またローンを組んで建て直すという選択を持つこともできるかもしれませんが、高齢の方からは『この先、10年20年生きているかもわからないのに…』という言葉をよく耳にします。高齢者にとっては、より一層簡単にできる選択ではありませんし、その選択自体を選ぶことができない経済状況の方も実際には多くいらっしゃるかと思います。それでも家を建て直して、故郷球磨村に戻ることを決めた住民さんもいらっしゃいます。一方で、家を解体する選択をしたあるご夫婦は、いつもはとても明るくて元気ですが、解体した日はとても落ち込んでいました。高齢の方が住んでいる家をどうするのか、その決断は様々な悩みや困難を伴っています。

 

 

 

ーコロナ禍では、いつもの支援活動とは違ったことはありましたか?
これまでに私が経験した被災地支援では、様々な協力者により、行き届いていた支援がありましたが、今回はそれがなかなかありませんでした。例えば、困ったことの一つがコーヒーでした。コーヒーは嗜好品として扱われてしまい、県の物資担当者から災害救助法の枠組みでは購入できないと言われました。でも、普段の生活でコーヒーを飲む人は多く、その1杯で気持ちを落ち着かせたり、安心できると思うのですが、買うことができないんです。いつもなら企業などから支援の申し出があったりしていましたが、コロナ禍での災害で、企業側もどこに何の物資が必要なのかを把握することや繋ぎ先がなく何かしたくてもなかなか実施できない状況だったのだと思います。今回は、PBVがこれまで連携協力させていただいている企業・団体さんに呼びかけ準備することで叶いましたが、こちらからも被災地にいるからこそ、積極的に何が必要なのかをより一層投げかけいく必要があると改めて思いました。

ー避難所での役割を教えてください。
避難所では主に住民さんの困りごとに耳を傾けて、それを解決するために動いていました。PBVではコロナ禍における避難所運営は人手が不足することや、より専門性がとわれる場面が多くなるだろうと新型コロナが流行し始めた頃から懸念していました。そこで要請があるないにしろ、すぐに動ける体制を整えておくため、専従職員以外にも臨時スタッフに事前研修とコロナ対策に関する準備を行っていました。その結果、いつもより多く、かつ知識を持ったスタッフを現地へ送ることができました。そのおかげで、いろいろな住民さんのニーズに応えることができました。人手不足や人の入れ変えが多いと、どうしても身体の不自由な方や、何か心配ごとのある方に目を向けがちで、健康な方や若い人の話を聞く時間を多く設けることができません。ですが、今回は様々なところでスタッフがそれぞれ違う住民さんと関りを持つことができたので、自分では気づけなかったニーズや視点があることを知れました。数百人いる住民さん一人ひとりのニーズに応えることは難しいことですが、今回はそれがいつも以上に実行することができたと思っています。

 

  

 

ーコロナ禍の支援で大変だったことはありますか?
コロナ禍だったので、人が集まるようなイベントはなかなかできませんでした。ですが、避難所でもコミュニティの形成は重要です。それがうまくいかないと災害関連死に繋がる場合もあります。だからこそ、できることを考え、衛生管理を徹底した上でオンラインライブや体操広場、ちょっとお話ができるようなスペースを設置しました。村役場や他の団体とも合意を図りながら進めていくのは、今まで以上の労力が必要でした。当たり前にコロナ対策をしながら、人と人が関われる仕組み作りを、もっと早い段階にできたらよかったと思います。
得られたことは、人々の衛生に関する認識が広がったことです。新型コロナが収まっても、衛生環境を保つことは本当に大切なことで、特に水害時には必要不可欠です。水害が発生すると、建物の中に泥が入り、放置するとカビが繁殖するので、特に注意が必要です。避難所は集団生活なので、それぞれの場所の衛生を保つことや食中毒に気を付けることは、今後も続けて行く必要があります。コロナ禍における複合災害は、今後も発生する可能性が十分にあると思うので、今回コロナ禍だったからできなかったことを、どうやってできるようにしていくのかが課題だと思っています。

ーコロナ禍の支援でよかったことはありますか?
コロナ禍だからこその発想で、新たな取り組みとしてオンラインライブを実施できたことは本当によく、今後も続けていけたらと思っています。今までの被災地や避難所の場合、アーティストの方に応援してもらうためには、移動時間も含めてその方の拘束時間が長くなることや、運営側も警備体制など、実施までの準備が大変な面もありました。被災地に来て実際に何かをしてもらうことも必要ですが、オンラインを活用すれば、被災地に来ることができなくても避難している住民さんをより励ますことができ、被災者と応援者の想いを繋がげることができるんじゃないかと思っています。

ー印象的な住民さんとのエピソードなどはありますか?
忘れられないおばあちゃんがいます。先に旦那さんを亡くされて、親族と一緒に避難をしてきた方なのですが、いつもにこにこしていてとっても品のある方でした。入所当初はあまり深く関わっていなかったのですが、球磨村の方言でいつも笑顔で話しかけてくれていました。雨が降ったある日、突然精神的に不安定な状態になり、避難所を飛び出して行ってしまったことがあるんです。大事には至りませんでしたが、その出来事があってからは毎日会いにいくようになりました。普段は穏やかでも、雨が降ったときはひどく悲しくなってしまうんです。少し認知症を患っていたので、なかなか名前を覚えてもらえませんでしたが、私の名前を呼んでくれたときは嬉しかったです。別の仕事で数日避難所を空けることがあって、久しぶりに戻ってくると、「どこに行ってたの?寂しかったわ。今日はあなたに会えてうれしい」と言ってくれたことが忘れられません。避難所の退所日には立ち会うことができませんでしたが、無事に仮設住宅に入居して少し安心しています。

 

 

◆2020年7月豪雨災害 新型コロナウイルス×被災地 緊急支援募金

2020年7月豪雨災害 新型コロナウイルス×被災地 緊急支援募金