東日本大震災から13年 想いをカタチにしていく支援調整

 

2024年3月11日、東日本大震災から13年

 

東日本大震災によって犠牲になられた方のご冥福をお祈りし、ご家族の皆さまに心よりお悔やみ申し上げます。

 

2011年3月、宮城県石巻市。

石巻市災害ボランティアセンターが立ち上がってまもないころ、PBVスタッフはセンターの片隅で、鳴りやまない電話を受け続けていました。

 

「1,000食のカレーを提供できるが、どこに行ったらいいのか?」

「炊き出しをしたいと思っているが、水や電気は通じているのか、被災地の状況を教えて欲しい」

など…

 

 

石巻市社会福祉協議会職員から依頼を受けて、炊き出しの調整窓口を設け、支援の申し出を避難所などに繋ぐ役割を担っていました。

 

 

(写真:上野祥法)

 

まだ被害状況や避難状況の全容が分からない中、行政からの避難所情報や、各地域で活動している支援団体からも情報を集め、食事が不足している場所をなんとか把握していきます。そして、支援の実施を希望する方たちと、支援を必要としているところを繋いでいきます。

 

この調整がうまくいかないと、せっかくの支援が重なりある避難場所に支援が集中し、他の地域では支援が足りないといった、過不足が生じてしまいます。

 

その後、弁当などの提供で市全体をカバーする市役所と大規模な炊き出しを行う自衛隊、小回りのきく支援団体と、お互いの状況を把握しながら役割分担をするために、食事支援に関する3者連携の会議を毎週持つようになりました。

 

支援調整は、表には見えづらいですが、被災された方たちの助けになりたいという想いを具体的にカタチにしていく重要な役割だと考えています。

 

大規模な被害を前に一つの組織や団体で、やれることは限りがあります。

今年発生した石川県能登半島地震の被災地でも、このような支援を繋げる役割を担っている人たちがいます。

 

あれから13年、災害支援の現場のノウハウも蓄積されてきました。過去の経験を活かしながら、今後も横の連携を大切にしながら活動を続けていきます。