災害ボランティア インタビュー Vol.2

「初めてのボランティア。未成年でも、女の子でもできることはきっとある。」

矢留由乃(やとめよしの)さん。19歳・学生。
4/1~4/8、石巻でのボランティアに参加。

「これまで、ボランティアってこと自体やってみようろと思ったことはあまりなかったんです。でも、この震災だけは、絶対に何かやらなきゃ!と思って。」

震災で学校の開始が2週間遅れ、その時間を利用してのボランティアを希望していた。いくつかの団体に電話して応募してみたが、年齢を理由に断れた。ピース ボートでの現地派遣も元々は20歳以上が条件だったが、保護者との同意がしっかりしていればと話し合い、参加が決まった。

石巻での1週間、まだ寒い石巻専修大学でお風呂も入れず、夜は友達に借りた慣れないテント暮らし。グループのメンバーにも支えられながら、必死に炊き出しや泥のかきだしに汗を流した。

炊き出しのデリバリーとして、ピースボートでも初めて足を伸ばした雄勝町。市の職員や消防の方々が休みなく働いていた。彼ら自身が被災者だ。職員のひとり は「妻の遺体がこの近くにあるかもしれない。でも、生き残った周辺の方々への対応で、それを捜しに行く時間もないんだ…。」と。精神的にも肉体的に も、本当に極限の状態で活動を続ける職員の方々に、せめて温かい食事をと、大きな鍋に80食ほどを持ってきた。美味しそうに「温っかい食事なんて、ホント に久しぶりだなぁ。ありがとう。」

継続して炊き出しを持ってくることを決め、希望のメニューを聞くと、料理の名前が出てこない。「自分で好きな料理を選ぶ。そう言えば、前はそんな当たり前の自由があったなぁ。」当たり前のことが何もできない。目に見えない震災の被害を、初めて身を持って知った。

中央庁にある居酒屋の泥のかきだしボランティア中のこと。ここは、打ち上げられた船が道路に横たわる、テレビでよく映し出されていた光景のすぐ裏だった。 男性メンバーが泥をかきだし、女性メンバーはお風呂やトイレの掃除を担当した。キレイになっていくお店を見ていた店主のおじいちゃんが、メンバーを呼んで ご飯を振る舞ってくれた。食材の調達が難しいので、ご飯と言ってもカップラーメンとかお菓子。あまりに勧めてくれるので、断る方が申し訳ないと思い、一緒 にいただくことにした。

「全部壊れてしまった。雨が降れば、雨漏りもする。年も取っているし、ボランティアさんに助けてもらわなきゃ何にもできなかった。これから時間が経って、 手伝ってくれる人が減ってしまったら本当に困る。東京で地震が起こったら僕らも駆け付けるから、いまはとにかく続けてボランティアさんに来て欲しい。」お じいちゃんの言葉に、もう一度ボランティアに来ることを決めた。

1週間のボランティアを終え、大学が始まった。直ぐさま、教務課へ行き「もう一度、ボランティアに行きたいんです。」と授業や単位について、掛け合った。 大学側は、まさか女子大である自分の学校から、災害ボランティア希望者が出るとは思っていなかったと。それでもその2週間後、教授会と学生課などが相談し た結果、活動証明書と活動レポートの提出という条件で、授業の出席日数などについての特別な配慮を認めてくれたそう。

「はじめからもう一回参加しよう、なんて思っていませんでした。でも、石巻はまだ全然大変な状況だと思うんです。見て見ぬフリはできなくて。ゴールデンウィークが過ぎると、本当に人手が足りなくなると聞きました。私一人でも多く行かないと!!」