災害ボランティア インタビューVol.5

笑顔がまぶしい元気印の皆川幸(みながわ さち)さんは、ダンボールとペンがあれば絵や文字をさらさらっと書いて、即興で看板を作ってしまう。そして物資を配布する場所に集まる子どもたちと、すぐに仲良くなって遊んでいる。そんな彼女の仕事が保育士さんだと聞いて納得した。

京都府出身の彼女は、短大を出てから4年間、保育士の仕事を続けました。皆川さんは、「3年続けて一人前と言われるんですけど、自分は3年では足りずに、 4年目でやっと一段落したかなって思ったんです」と言います。4月1日付けで退職して、「これからの1年間は自分のやりたいことをやる」と決めていまし た。今年の7月からは、ピースボートの地球一周の船旅に乗船する予定になっています。

「3月11日の震災の時には、保育園で仕事をしていました。子どもを迎えに来た保護者の方から、大変なことになっていると言われ、何のことかわからずに 帰ってテレビをつけたら、飛び込んできた映像にびっくりしました。でもショックを受けながらも、それを見ながらご飯を食べている自分がいたんです。テレビ の中の世界と、自分のいる世界とのギャップに、『これは何だろう』って、すごく違和感を感じましたね」

その後も、同じ日本に住んでいても、関西ではほとんど生活に影響はありませんでした。「自分にできることって何だろう」と考えながら日々が過ぎていきました

しかし、ピースボートセンター大阪でボランティアスタッフとして、街頭での募金活動に関わっているうちに、いつしか被災地を体験した上で、支援をしたいと思うようになったと言います。

「現地に行ったからといって、何ができるかわからない。でも、ちょうど仕事をやめて、自分は行ける状況にある。だからここにいるよりはもっとできるんちゃうかな、って思いました」

4月30日に石巻に到着してから、彼女は主に、炊き出しでつくった食事や、物資などを届けるデリバリーの仕事を担当しました。

「ニーズはどんどん変わるので、今日はどんな物資を持って行こうか。どんなものが今必要とされているのか、いつも考えていました。それほど大したことができているわけでもないのに、持って行った炊き出しや物資を喜んでくれる方がいると、すごく嬉しいです」

皆川さんが到着したときに、大阪で一緒にボランティアスタッフをしていた友人とすれ違いました。友人は1週間先に来ていたので、交替で大阪に戻ることに なっていたのです。友人は皆川さんに「本当はもう一週間延長したかったけど、仕事でそれ以上延ばせないから、残念だけど帰る。」と告げました。それを聞い たときは「えー、2週間も?そんなに長く居たいんだ!」と驚いたと言います。

「でもデリバリーの仕事を1週間やってみてその気持ちがわかったんです。もっとできることがたくさんあるって。デリバリーは引継ぎが大事な仕事です。メン バーみんなが1週間ごとに入れ替わってしまったらぶつ切りになってしまう。地域の人とも新しく関係を作らなあかん。そこで帰らなきゃいけないというのは悔 しいし、もったいない。自分は仕事もないし残れる状況だったから、迷わずもう1週間滞在を伸ばすことを決めたんです」

彼女は、実際にボランティアをしてみて、復興にはボランティアの力が絶対に必要だと実感したという。それだけに、ボランティアが減ってしまったら大変だという心配もしている。

「今ここには、日本中、それから海外からも行動に移す人たちが集まってきています。もちろん現地の人も一緒に復興を目指しています。それを見ていて、一緒 に作り上げていくことってすごいなーって思います。町や人の生活は元通りに戻らなくても、新しい形で、新しいものを作っているように思うんです。そこに自 分も何らかの形でかかわり続けたいって思います」