震災から1年、代表理事・山本隆インタビュー(後半)

Q:
この1年を振り返ると、PBV(ピースボート災害ボランティアセンター)として、福島子どもプロジェクト、和歌山での台風、新潟・小千谷市での豪雪への支援活動、「災害ボランティア・リーダートレーニング」と、石巻や女川での活動以外にも色々とやってきました。

A:
石巻での支援を始めた時は、正直こういった形で僕たちの活動が続くとは予想していませんでした。もちろん中途半端な活動にしたくないとは思っていましたが、石巻では地元に長く密着し、かつそれ以外の場所でもできることには支援の手を広げていく。「僕がやりたいから」じゃなく、そこに共感してくれるボランティアがこんなにもたくさんいる、それが後押しになってやってきた感じです。
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2011年9月~11月に行った和歌山県新宮市熊野川町での緊急水害支援。

 

Q:
この1年、国内では自然災害が多発しました。防災減災を考えた取り組みも、もっと必要なんでしょうね。

A:
僕自身が関わった国内災害の支援は、これまで神戸と新潟だけでした。どちらかというと、海外での救援活動の方が多く、国内の水害などでの現場経験は多くありません。海外の場合は、日本からボランティアを飛行機で現地入りさせるのも、資金的に考えても容易ではないので、経験あるスタッフで物資提供するなどの形が多いです。
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スマトラ沖の大津波の後のスリランカ。左が山本。

 

ただ、神戸の時も、新潟の時も、そして今回改めて感じるのは、やっぱり人の凄さ。リーダートレーニングを受けた修了生たちが、いち早く新潟の雪かきボランティアに参加してくれたことなどは、本当に顕著な例ですよね。

国柄の違いかもしれませんが、海外では宗教団体や地元組織などが炊き出しを行う姿はあっても、県外の一般市民がこうやってボランティアに掛けつける動きはあまり知りません。日本特有の思いやり、というか。まだまだやらなきゃいけないことはたくさんありますが、自治体や社協とも連携しながら、日本の強みである災害ボランティアをしっかり位置づけ、仕組みを作ることができれば、社会全体の防災・減災にとって大きなプラスにすることができると思っています。

 

Q:
大災害であればあるほど、「連携」も大事なキーワードになりますね。

A:
「連携」はもちろん大事だと思いますが、単に団体同士がつながりましょう、といっても仕方がない。全員で目指すべき目的意識と、団体一つひとつの責任があって初めて機能するものでしょう。

今回の石巻では、地元行政や自衛隊、社協、地元団体、外から支援に入ったNGO/NPOの連携が進んだと思いますが、それは「一丸となって1日も早い復興」という目的意識と、各団体が自分にできる役割を認識し、責任を持ってそれを実行する、という合意があってできあがった仕組みです。

石巻や女川ではPBVはこれをやる、他の地域ではどのタイミングであれをやる、など自分たちの立ち位置がブレないよう、しっかりと優先順位を付けることが、「連携」を進める上での前提だと思っています。

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震災後にできた「石巻災害復興支援協議会」。全体ミーティングの様子。

 

 

Q:
最後に、もうすぐ3月11日を迎えますが、今の気持ちを教えてください。

A:
僕自身がこうやって災害支援の活動をしていなかったら、どんな気持ちでこの日を迎えるんだろう。ボランティアがいなかったら、石巻や女川はどうなっていたんだろう、と。正直、少しずつ記憶が薄れた中、「東北の人は大変だな」ぐらいでテレビを見ていたかもしれません。

でも、まったく建物のなくなってしまった地区や人気の少ない町並み、地元の方々との会話を通して感じることは、「まだまだ外からの力が必要」ということ。それだけの災害規模であり、広範囲の被害であり、地方都市で起こった震災なんだということを改めて感じます。

悲しいですが、残念ですが、亡くなった命を取り戻すことはできません。この震災で犠牲になった尊い一人ひとりの犠牲を無駄にしないよう、できることをやっていくだけです。1年やそこらではまだまだ形にはならないかもしれないし、そこまで団体としての体力が続くか分かりませんが、住民の方々から「いい街に生まれ変わったね」と口に出してもらえるよう、また石巻で活動したボランティアからは「毎年遊びに行きます」と声が聞こえるよう、精一杯頑張っていこうと思います。

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2011年3月。PBVの石巻緊急支援が始まった石巻専修大学にて。

 

 

Photo:Yoshinori Ueno、Mitsutoshi Nakamura