Q:
石巻から戻ってからは、スタッフとして石巻へ行くボランティアの説明会や東京ボランティアの担当をしてもらいました。東京ボランティアでも希望者向けの説明会に、一度に100人以上が参加していたので、大きな仕事でした。同時に、福島での支援をどうするのか?何度も現地を訪れながら考えてましたね?
武田:
そうですね。実は、僕自身も、原発のある福島で育ってきましたが、あまり関心を払ってきませんでした。事故があって、ボランティアが簡単には現地に行けなくて、そんなもどかしい気持ちの中で、初めて放射能の危険性とかを考えるようになりました。宮城でできることが、福島ではできない。悔しかったですね。
Q:
夏休みに、ピースボートクルーズに乗ってアジアを巡る「福島子どもプロジェクト」は、南相馬の中学生が対象でした。これも、ゴローちゃん(武田くんのあだ名)らが現地で色んな人と話をしてきた中で生まれたものです。その辺りのいきさつを教えてください。
武田:
福島を訪れた時に、たくさんの悩みを耳にしました。僕が話を聞いたのは、避難区域の外で暮らす方々。僕の実家もそうですが、「避難するのかしないかは、自分の選択」と言われても、知識もないし当てもないし。そんな中、子どもを学校に送り出すお母さんは、自分を責めてずっと泣いていて・・・。何にも知らなかった、原発に無関心だった自分にも腹が立ちました。
南相馬では、いくつかプロジェクトの提案をしました。実は、その中で、一番提案するのを戸惑っていたのが、「福島子どもプロジェクト」だったんです。「夏休みに海外旅行?そんな余裕ないよ!」と怒られるかもしれないと思っていました。ところが、他のプロジェクトへの反応が薄かった中、そこに集まっていた皆さんに「そんなことできるなら、絶対にそれがいい!」と言われたんです。あの時の福島の方々の嬉しそうな表情は忘れることができません。本当に、目からウロコでした。
2011年夏、「福島子どもプロジェクト」に参加した南相馬の中学生たち。
「南相馬こどものつばさプロジェクト」は全部で17の一時避難のツアーが実施されました。子どもの健康はもちろん、毎日毎日不安とストレスの中で暮らす親にとっても休息と考える時間が必要でした。さらに、ピースボートの場合は海外旅行。「放射能からの一時避難」という原発事故の影響は抜きにして、自分の子どもに国際交流体験をさせてあげられるということ自体が、先の見えない毎日に明るい話題を提供できる、ということだったんだそうです。30人だった枠も応募が殺到して、結局49人の希望者全員を受け入れることになりました。
「つながろう南相馬」の高橋さん。福島子どもプロジェクトを応援していただいた一人。
Q:
「福島子どもプロジェクト」は、ぜひ今年もやりたいと思っています。実際は結構ハプニングもあったりで大変なんですけどね(笑)修学旅行で海外に子どもたちを連れていったことのある先生たちなら分かってくれるでしょうか?
そのプロジェクトはPBVの活動でも目立ったプロジェクトでしたが、もちろんそれ以外にも福島との関わりを深めていこうとしています。具体的にいくつか教えてください。
武田:
11月には福島大学で「ふくしま会議」という大きな会議が行われました。僕自身も、福島大学の学生らが主体となって企画した「若もの会議」に参加して議論してきましたが、県外からの若者がほとんどいなかったことにショックを受けました。
僕自身が震災がなければ、無関心に暮らしていたので、こんなことを言う資格はないのかもしれませんが、やっぱり放射能のことは僕たち若者世代が一番影響を受けることだと思うんです。だから、同じ世代の県外にいる人たちに関心を持ってもらうにはどうしたらいいのか悩みました。
僕自身が出した答えは「福島出身の僕や、ふくしま会議に参加した人が「福島に来てくれるのを待つ」という姿勢だけじゃなく、自ら色んな場所に出かけていって生の声を伝える」ということでした。やっぱり、新聞やテレビを通してではなく、あの怖さや不安を知っている人の生の言葉でしか伝えられないことがあると思っています。
2012年1月15日、横浜でPBVの活動紹介、福島のことを話す武田。
Q:
先週末に、開催された「脱原発世界会議2012 YOKOHAMA」では、「つながろう南相馬」「NPO法人フロンティア南相馬」と一緒に、イベントを行ってゴローちゃんも、自身の体験やPBVの活動について熱く語っていましたね。
A:
2日間に渡って「ふくしまの部屋」というコーナーがあって、そこには本当に多くの福島からの参加者、避難して関東で暮らしている方々、そして彼らを支援したいという人たちが出会い、思いっ切り語り合える場がありました。震災から、ずっと何かを失うことが多かったふくしまの方々にとって、仲間であったり、情報であったり、安心であったり、新しいものを得ることができる場でした。徹夜続きで準備してきた会議でしたが、本当にやって良かったです。
自然災害は人間には止められません。でも、人災は止められます。僕自身、もう二度とこんな苦しい思いをするのは嫌だし、ほかに同じ思いをする人を生みたくないんです。簡単じゃないと思いますが、やるべきことをしっかり続けていきたいと思います。
(終わり)
photo:Kazushi Kataoka、フロンティア南相馬