ピーク時は数百人が暮らした体育館。ガランとした中、最後の片付けを進める方々の姿も。
震災から7ヶ月を迎えた10月11日、石巻市の避難所が全て閉鎖となりました。一部の避難所では自宅の修理を待つ人などのために待機所として形を残す場所もありますが、ここ蛇田中学校体育館も最終日となり、最後の食材提供と仮設住宅への引っ越しの手伝いを頼まれたボランティア2人が訪れました。
2人のうちの1人は、長くキッチンを支えながら炊き出し、自活支援という形で住民の方達と触れ合ってきたADの北村和美さん。「初めはなかなか向き合ってもらえず、話をするのもスムーズにいかなかった」という中、試行錯誤しながら継続してきたことから生まれた信頼関係で、引っ越しの手伝いを依頼されるほどになりました。
仮設住宅に到着し、体育館から積み込んだ荷物を運んでいく様子。
手伝いを終えてお別れする時、「今まで本当にありがとう。元気な顔で再会できるように私たちも頑張るからね!」という言葉をもらいました。
「終わりではなく始まり」
そんなことを強く想った瞬間でした。
避難所を離れる直前、残っていた方々と撮った写真にも笑顔が見られます。
そして、もう1つ最後の日となったのが仮設風呂です。ピースボートでは、不動町の「不動の湯」、立町のアイプラザ駐車場の「絆の湯」、そしてすでに終了している湊小学校の「希望の湯」の運営に関わってきました。
嬉しそうな表情でこの暖簾(テントの幕ですが・・・)をくぐる方々の姿も見られなくなります。
夜、終了時間間際になった「不動の湯」に向かうと、受付には花やお菓子、手紙などのたくさんのプレゼントが並んでいました。お風呂という場所だけではなく、そこを支えてきたメンバーがどれだけ愛されていたかがわかります。
湯冷めしてしまうことを心配するぐらい、別れを惜しんで話をしてくれた方も。
合わせて、これまでに終了した他の支援活動も紹介します。
各地から集まった支援物資を集約、管理した石巻専修大学のストア倉庫。
9月22日に閉鎖し、別の場所に移された物資は今後は石巻市が管理します。
各避難所を回り、布団や毛布のダニ駆除、清掃をおこなったダニバスターズ。
9月14日、渡波小学校で最後の清掃作業を終了。特別に改造された布団乾燥トラックもその役目を終えました。
命を繋ぐ食事の提供から、地域の人たちを繋ぐ集いの場となった炊き出し。
9月25日に終了。ピースボートの炊き出しによってできた新しいコミュニティーで、住民の皆さんだけで続けていく場所もあるそうです。
そして、これからピースボートの支援の中心になっていく活動も紹介したいと思います。
避難所から仮設住宅に移った後も、長く厳しい生活が続くことは変わりありません。多数の孤独死というつらく悲しい出来事のあった阪神・淡路大震災の教訓も踏まえ、ピースボートでは仮設住宅に新聞を届けるという活動をスタートさせました。これはただポストに投函していくだけではなく、できる限り直接手渡しすることを目指し、生活再建に必要な情報や仮設住宅で少しでも快適に暮らしていくための生活の知恵などを紹介しながら、行政と協力して顔を繋いでいくという役割も担います。
他にも先日のブログで発表のあった災害ボランティア・リーダートレーニングをはじめ、引き続きとなる牡蠣やワカメの養殖をお手伝いする漁業支援、だいぶ少なくなってきましたがクリーン活動などがあります。また、地元の方との相談、調整を図りながら新たな活動が始まっていく可能性もあります。今後はそれらの取材をおこなって随時このブログで紹介していく予定です。
これからもよろしくお願いいたします!
Photos by Syoichi Suzuki, Mitsutoshi Nakamura