クラウドファンディングへのご協力をありがとうございます。
残り1週間ということで、今日から少しずつ、PBVスタッフがなぜ災害支援を続けているのか、彼らの想いをインタビューし、連載企画として掲載していきたいと思います。
1人目にご紹介するのは、垣貫紀彦(かきぬきのりひこ)です。「かっきー」という愛称で、主に防災・減災教育プログラムを担当しています。
➀災害支援が仕事になるまでのいきさつを教えてください。
以前は国際NGOピースボートの職員として勤務していたんですが、2010年に辞めて地元の大阪戻っていました。東日本大震災が発生した時に、現職の職員から「大掛かりな支援になるだろうから手伝えないか」と連絡が来たのが関わるきっかけです。
自分自身は震災の様子をテレビで見た時に、そこに暮らしている人の事を想像して、これはきっと色んな人の助けが必要だろうから、自分はどのように関われるかなと考えてました。そんな時に声をかけてもらったのでそれに乗っかったという形です。個人で動く事も考えましたが、一緒に動いた方が貢献度が高いかなと思っての選択でした。
関わり始めて、「ちょっとやそっとで終わる事じゃないな」って感じました。ただ当時はボランティアとしての関わりだったので、ずっとは続けられないけど、とりあえずお金が続くまでは関わろうと考えていました。1か月くらい経ってPBVが設立されることになって、で雇用してもらう事になり、結果的に関わっていた事が仕事になったというのがスタートです。
➁「何かできることを」と始めた災害支援の仕事を長年続けている理由はなんですか?
自分よりずっと前から災害支援に関わる方もいるので、自分が「長年」関わってるという感覚はありません。最初から「10年20年やるぞ!」って言うより、目の前の事をやっていたら気が付けば10年経っていたというのが正直な所です。イメージですが、春と冬は平時の防災や減災の事業、夏と秋は災害対応というのが毎年続いてて、被災地での対応に入らない時も残った人員で既存の事業を運営していく形になるので、だいたいいつもバタバタして一年が本当にあっという間に終わってしまいます。気が付いたら10年経ってましたね。
今も続けているのは色々ありますが、やっぱりまだまだ被災地では困っている人が多い状況があるからという事になると思います。自分自身もこういった事に関わり始めて、災害時の支援って、意外とまだまだ大変なんだなと知りました。直接関わるまでは誰かが何かをやってて、それなりになんとかなってるんだろうなって根拠もなく思ってましたが、それにはもっと色んな人の関りが必要だなって思うようになって続けている部分はあります。
発災後、被災者が抱える困難を解決していく為には、ボランティアとして参加してくれている人たちに、どのように関わってもらうかという事の他にも、行政や社会福祉協議会、企業や、NPO等、他の支援者間の協力体制をどう築くかが欠かせません。概念としては分かっていても、それを実際に形に出来るようにしていく為に、自分自身もまだまだ学ぶことは多いと思っています。
また、災害時には支援者も困るんだなというのを活動を通して感じています。例えば自分自身が直接関わる事が多い所で言うと、災害ボランティアセンターを運営する社会福祉協議会もその一つです。平時に様々な取り組みを行って備えている所も多いですが、実際の災害対応の経験がなく効果的な取り組みに繋がりにくかったり、発災時に想定外が多く対応が難しかったり、結果として被災した地域住民を助けたいという想いがあっても、多様な支援の実施に繋がりにくい事もあります。
近年は社会福祉協議会からの講演や研修実施の依頼もいただけるようになってきました。災害が起こってからのお手伝いももちろん頑張るんですが、そもそも起こる前の取り組みに自分が被災地で経験してきたことが活かせるならそうすべきだなと考えて、続けている部分もあります。
③現場に入った被災地で忘れられないエピソードなどはありますか?
被災地での活動は印象的な事は沢山起こるんですが、変わった所で言うと石巻でNPO法人コモンビートと共催で、石巻の人たちと一緒にミュージカルを実施するというプログラムの担当をさせてもらった事がありました。プログラムに向けての動きが始まったのは震災から1年半程経ったタイミングだったと思います。どういった形で「支援を提供したらいいか」って凝り固まってた自分の考えを、プログラムに参加していた石巻の人たちに解きほぐしてもらったなと思ってます。当然、災害の規模や発災以降の時期にもよりますが、それ以降色んな被災地に支援に行った時も、出来る限り地元の人と一緒にやれるようにという自分の原体験になっていると思います。
他には2014年の2月に関東甲信越で豪雪があり、雪かきの支援を行いました。その時の支援に入ったお宅で、単身で暮らしている女性が言った言葉が今でも心に残っています。
「今まで自分は1人で生きていくんだと考えていたけど、雪で身動きが取れない自分に対して、薬を届けてくれたり食事を届けてくれたり、見ず知らずの人が雪かきに来てくれたりして助けてくれた。やっぱり人は1人では生きていけないんだとわかった。」
そんな事を言ってました。
その時にかなり小さいですが「人こそが人を支援できる」っていうのが自分なりに出来たのかなって思えました。この時の支援は団体の取り組みとしては非常に短期間の活動で、関わった人数もそこまで多くなかった取り組みでした。他にも印象的な出来事や出会いはいっぱいあるんですけど、この時の出来事はずっと覚えてます。
④今後も災害支援に関わるうえで、大切にしたことはなんですか?
そんなに大それたものがあるわけじゃないですが、これまでしてきた通り、やれる事・必要な事を探して一つ一つやっていくつもりです。
今、自分は(2020年7月豪雨災害で被災した)熊本県の人吉市に支援に来ていますが、必ずしも今までと同じ手法が通じない事も多く、コロナ禍での被災者支援の難しさを日々痛感しています。反面、共通する事もあるなっていう事も感じていて、それは何が必要か色んな人の話を聞いたり、考えたり、それをどうやったら出来るかを話し合って一つ一つ形にしていく。これはコロナ禍でも同じだなと思います。
これまで活動をして来れたのは、そんな地道な取り組みに様々な形で共感・応援をしてくれた皆さんの支えがあったからこそだと思っています。なので、自分からは下手に大風呂敷を拡げるのではなく、コロナ禍でこれまでと状況が変わったり、取り組む事やコストが増えてしまっても、変わらず必要な支援を一つ一つ実行する為に、改めてご協力をお願いしたいと思います。これからも皆さんと一緒に取り組んでいけたら幸いです。
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クラウドファンディング終了まであと7日!
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「コロナ禍でも被災者を支えたい」 #1人の100歩より100人の1歩