【モザンビーク】 避難を続けてたどり着いた再定住地の暮らし

モザンビーク中部へのサイクロン・イダイの上陸から4か月以上が経ち、発災直後に避難キャンプに逃れていた人々の多くが、郊外に設けられた再定住地での暮らしを始めています。

 

 

PBVスタッフが再度、モザンビークに渡航しています。先週、ドンド郡のMutuaとMandruziという再定住地を訪問しました。この2つの再定住地は、PBVの現地パートナーであるKulimaが仮設の共同トイレと手洗い場所を整備した場所です。彼らがトイレの建設を始めた時は、何もないただの原っぱだったといいます。そこからトイレや手洗い所、水汲み場所などが作られ、4月の終わりごろから再定住地へ住民の移動が始まりました。再定住地に暮らす人々には住まいと畑の区画が分配されています。しかし、いまだ家の建設の目途が立たず、ほとんどの人々がテント生活を送っています。

 

 

再定住地の一角で赤ちゃんを抱えながら土地の整地を行っていた若い女性にお話を伺いました。彼女は現在4人の子どものお母さんで、一番下の子が生まれたのはサイクロンの直後です。サイクロン前に夫を失った彼女は、ベイラの借家で被災し、3人の子どもと一緒に近くの学校に避難しました。学校の授業再開にともない避難場所として使用できなくなると、ベイラ市内の避難キャンプに移動し、その後さらに郊外の避難キャンプに移動しました。

 

避難場所を求めて転々とした後、ベイラの病院で男の子を出産しました。出産にともなう入院が長引いたため、再定住地への移転に向けた手続きが間に合わず、Mandruziの再定住地にたどり着いたのの正式な再定住者のリストに入ることができませんでした。現在は土地の区画を手に入れてテント生活を送っていますが、再定住者向けの食料の配布については、余剰分があった時だけ受け取れるという不安定な状況の中で4人の子どもを育てています。

 

 

「配給の食料はトウモロコシと豆ばかりだから、子どもたちに野菜を食べさせたくて」とテントの前に作った彼女の小さな畑には少しばかりの野菜が育てられていました。

 

 

 

 

発災から日が経つにつれ、それぞれのコミュニティ、それぞれの世帯の抱えるニーズに合ったきめの細かい支援が必要になっています。その一方で、現場で緊急支援活動を実施する団体の数が減り、生活再建に向けた取り組みを住民負担で行っていかざるを得ない状況が生まれています。ひとつの団体でできることは限られていますが、PBVでは他団体と協力しながら住民の皆さんが一日も早く日常を取り戻せるよう、支援活動を続けていきます。

 

 

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