今日の活動レポートは、石巻市雄勝町での石拾い。
といっても、運動場や田んぼに入り込んだ石を取り除く、というわけではありません。
雄勝町ならではの、ちょっと変わった産業再生のためのボランティアの活動をご紹介します。
雄勝町は、石巻市中央からさらに太平洋側の町。旧北上川の土手を走る途中、石巻市立大川小学校に立ち寄りました。震災から約5ヵ月半、未だ捜索活動が行われている場所でもあります。
手を合わせながら考えていたのは、「自分たちが何のためにボランティアに来たのか?」ということ。展示された写真を前に、震災と津波の恐ろしさ、そして自分にできることを問い直す時間となりました。
さて、そこから車を走らせること約15分。到着したのは、静かな湾を囲む雄勝町の中心です。養殖が盛んで、漁業とともに人々の暮らしがあった場所です。
到着したボランティアは、早速作業の確認に入ります。8月後半の東北といえども、まだまだ暑さは続きます。熱中症対策、虫刺され対策など、安全面もしっかり確認してから作業現場に入ります。
一見、広場のようにも見えますが、実はここには雄勝石を洗練するための工場がありました。
津波の破壊力を、工場の跡地が静かに物語ります。
石を断裁するための残された機械や、おそらく工場の外壁に使用されていた雄勝石など、そこには確かに工場があったことが伺えます。
状況を理解したボランティアは、黙々と作業に入ります。
雄勝石は軟らかく、薄く割れるという特徴を持っています。すなわち、自由に加工しやすいと言うこと。また同時に垂直方向からの 力に対しての強度は非常に高く、日本で採掘・生産できるのは唯一ここだけだと言われています。雄勝町は、それらを加工して硯や石工芸品などを製造する伝統産業を持つ町でもあるんです。
この工場にあった雄勝石も、大半が津波で流されましたが、工場付近に散らばっているものの、まだ利用できる状態のものもたくさん散乱しています。中には女性二人がかりでやっと運べるような巨大な物も。
それらを、一つひとつを丁寧に拾い集めていく、それが雄勝の石拾いボランティアです。
トラックの荷台は、あっという間に雄勝石でいっぱい。
その後、近くの雄勝町庁舎へと運び込みます。ちなみに津波は、この3階の高さまで到達したそうです。
庁舎の集積スペースには、回収した雄勝石がこんなにたくさん。これまでコツコツと続けてきた努力が成果が伺われます。
そこから痛みの少ない石を選別し、きれいに洗い再加工していきます。
この硯は震災前に作られたものですが、拾い集められた雄勝石は最終的にはこのような硯になったり、
家の外壁や屋根瓦に使われたりする予定となっています。
実は、東京駅の屋根にもこの雄勝のスレート石が使われています。震災前、本来は3万枚を出荷予定でしたが、津波の影響で大幅に減少。現在では1万5千枚しか出荷できていない状態だと言います。また、雄勝石の採石場も現在ストップしており、唯一の収入源がこの再利用できる石に限られているそうです。
また、こちら「石巻川開き祭り」に合わせて始めた雄勝石のアクセサリー。屋根に使ったり、硯にするには小さすぎますが、ちょっと工夫すればオシャレなキーホルダーやネックレスに♪
売り上げは、この雄勝石拾いを提案してくれた中里さんのいる船越の漁師さんたちの漁業再開や船の燃料代などへ寄付しています。
一つひとつの石を丁寧に拾っていく、こういった地道なボランティア作業にも非常に意味があることを学んだ一日でした。
Photo : Kazushi Kataoka