スタッフインタビュー 福島支援・武田信大 (前半)

3月、ボランティア準備隊として石巻入り。その後、東京ボランティアの担当を経て、福島支援を担う武田信大。震災から10ヶ月、実家の郡山で被災してからここまでの活動をインタビューしました。

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武田信大(24)。福島県郡山市出身。あだ名は「ゴローちゃん」

 

Q:
ゴローちゃん(武田くんのあだ名)は、ピースボートでも明るいキャラクターで周りに元気をくれる存在だと思っています。本題に入る前に、ちょっとだけ。小さい頃どんな子だったんですか?

武田:
いきなりですね!出身は福島県の郡山市、7人の大兄弟です。小さい頃は、自分で言うのも何ですが、やんちゃでしたね。網戸に突っ込んで怪我したり、階段でこけて骨折したり(笑)。3歳ぐらい?で、机に置いてあった親の小銭入れを持ち出して、勝手にお菓子を買いに行ってたり。覚えてませんが、それが初めてのお買い物です。いい意味で放任してくれる親だったので、自由にやらせてもらったんだと思っています。

 

 

Q:
分かるような分からないような話ですが、まあ昔から元気だったことは確かですね。。。さて、本題ですが、東日本大震災が起こり、3月21日という第一次ボランティアより前に、その準備隊として石巻に行ってもらったわけですが、それまでのいきさつを教えてください。

武田:
はい。郡山の大学を中退して、東京でエキストラのバイトなどしていた時にピースボートを知って、2010年の第70回クルーズに乗船していました。その後、実家に戻っていた時に震災がありました。郡山も揺れて、電気や水道も止まりました。それでも無事ではあったので、地元で何か手伝おうと思って、災害ボランティアセンターのある開成山野球場などに手伝いに行きました。

たくさん人が集まっていて混乱していたのでその日は手伝いは特になかったのですが、「地元にボランティア希望者がこんなにいるんだ!」と感動した覚えはあります。その後、高校の先生にも手伝いを申し出たところ、「ここは大丈夫。君にできることをやってくれ」と声をかけられ、自分に何ができるんだろう・・・と考えていました。

その日の夕方、ピースボートで知り合ったスタッフの人から電話がかかってきました。「宮城県で支援を始める。ボランティアが活動するための準備隊で、現地に行ってほしい、明日出発だけど」。

福島の原発事故のことはニュースでは耳にしていましたが、地元で僕にできることは限られていました。じっとしてても仕方ないので、かなり急ではありましたが、とにかくその誘いに乗ることに決めました。が、問題は一度東京に行くまでの交通手段。「自転車でも東京に行く!」と親に言ったら、さすがに反対されて(笑)。ただ、本当に偶然だったんですが、その夜に東京行きのバスが出るということで、急いで荷物を準備して飛び乗りました。そして、東京に午前中に着いて、打合せを済ませたら、その夜にはもう石巻に向けて出発してました。いま、石巻で頑張っているADのマントル(一條健司)らも一緒でした。

 

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震災直後の石巻市の様子。

 

Q:
送り出した日のことは覚えてますが、とりあえず炊き出しの道具を車に詰め込んだものの、どんな活動をやるのかさえ分かっていませんでした。「それを作り出して、3月26日に到着するボランティアを受け入れることが仕事だ」と。いま考えると、それも無茶な話ですが、あの時のメンバー6人は、みんなが二つ返事で理解してくれました。

武田:
東京に出れること自体が奇跡だったんで、もうあんまり気にしてなかったと思います(笑)。石巻に着いてからは、本部テントを張ったり、路上で炊き出しを配ったり、通行できる道路などの被害状況を見て回ったりしていました。

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震災直後の石巻は真冬。石巻専修大学でテントを張るボランティア。

 

当時、目の前に広がる石巻の現実は本当に大変でした。それでも、同時に地元福島の、特に原発事故と津波被害の両方を受けた南相馬など沿岸部の状況がずっと気になっていました。炊き出しを配りながら、「屋内避難」と言われた地域の人たちは、どうやってご飯を手に入れるんだろう・・・と。

(後半につづく)

 

 

photo:Jon Mitchell, 37framesphotography Tracy Taylor & Dee Green