【和歌山・台風12号】 ボランティア・コーディネーターが語る(前半)

先日、2ヶ月に渡る活動を終えた和歌山県での緊急支援。
9月8日の現地入り以来、のべ1,700名以上のボランティア活動をコーディネートした鈴木隆之にインタビューしました。

 

ボランティア・コーディネーターの鈴木隆之。11/6 「熊野川サテライト」閉所式にて。

 

Q:
まずは2ヶ月間、お疲れ様でした。活動を終えて、いまの感想から教えてください。

A:
11月12日の解散式に、新宮市や地元の熊野川町からもたくさんの方が駆け付けてくれ、僕らのために炊き出しをしてくれたんです。当初から、「よそ者」である僕らが一番大切にすべきは「地元」との関係だと思っていました。信頼してもらうには、ひとつずつきちんと物事を解決していく。信頼を失うのは一瞬なので、緊張感を持って活動を続けました。解散式を経て、「あぁ、間違ってなかったんだな」と、ようやく一息つけました。

 

 

Q:
熊野川町の現在の様子は?

A:
台風による洪水・土砂被害だったので、瓦礫撤去や土砂出し、清掃が主な活動でした。家屋や学校、施設などのニーズにはある程度、応えられたと思いますが、畑や山林などはまだ終わっていません。人力では限界があるので、ボランティア作業というより、重機や建設業界などによる復旧作業が続くことになると思います。東北の被災地もそうですが、家屋や商店などの泥かきが終わっても、地場産業の回復はそれからです。「今後は地元の力で復興を」ということで、ピースボートでの支援は一旦終了しますが、また必要があればぜひ応援に行きたいと思っています。

 

Q:
では、まず今回現地入りするまでのいきさつを教えてください。

A:
はい。僕自身は、以前ピースボートのスタッフとして何度か地球一周クルーズにも乗船し、音響などの担当をしていました。その後、日本各地のことをもっと知 りたいと思い、自転車で日本一周をやっている時に、東北の震災が起こりました。4月から約2ヵ月半、石巻市で活動しました。その後、一部残っていた日本一 周を終え、東京へ戻った直後に台風12号が発生。「現場経験のあるコーディネーターを和歌山に派遣したい」と代表の山本隆より話があり、セーフティーオ フィサーともう一人・石巻での活動経験のある高埜くんと3人で現場へ向かいました。

 

鈴木と同じく、先遣隊として現地入り、大活躍のボランティア・高埜太之さん。

 

Q:
台風5日後の9月8日に、和歌山県に到着してから、支援内容を決定するまでのことを聞かせてください。

A:
新宮市はもちろん、那智勝浦町や三重県の紀宝町などを回りましたが、どこも高齢者が多く、自分たちで壊れた家財道具などを運んだり、土砂をかき出したりしていました。人道的にも支援が必要でした。熊野川沿いの道路や橋が破損しており、新宮市から熊野川町までは2時間近くかかり、食糧の調達も一苦労しました。ただ、きれいな山水が各家庭まで流れていて、水道の復旧が進まずとも、飲み水は手に入る地域でした。自然の恐ろしさと自然の恵みのありがたさを同時に感じましたね。

下:洪水は、橋の上まで。熊野川町を襲った水位は最大20mを越える。

とにかく、体力作業ができる若いボランティアが役に立つと思い、新宮市の社会福祉協議会へ協力を申し出たのですが、当初は「地元ボランティアでやっていく」と断られてしまいました。その後、新宮市災害ボランティアセンターが県外ボランティアの募集を始めた際も反応はあまり良くありませんでした。残念ながら、NGO/NPOと言ってもあまりピンと来ず、外部からの支援やボランティアに対する警戒もあるんだと思います。地元との関係を一番大切に支援を続けようと決めたのも、この辺りのいきさつが影響しています。

 

新宮市からの出張ボランティアセンター「熊野川サテライト」となった熊野川ドームさつき。

 

Q:
連絡を取り合っていた東京でも、大きな水害が発生していたことは分かっており、ボランティアの力が必要になるとは思っていました。が、外部と地元の意志が噛み合わない状態は歯がゆかったですね。

A:
結局11日に熊野川町での活動が決まり、東京本部と連絡を取りながら、ピースボートでのボランティア募集が始まります。熊野川町は、2005年の市町村合併で新宮市の一部になりましたが、ボランティアの受け入れを行う災害ボランティアセンターも本部・新宮の動きを待たなくてはいけず、14日になってようやく「熊野川サテライト」が立ち上がりました。

職員の方々も大きな災害を前に、かなりの混乱があったのだろうと思いますが、緊急支援の現場では1日1日が大きな意味を持ちます。改めてボランティア受け入れの仕組みづくりを見直したり、いざという時のために、普段から自治体やコミュニティと準備や心構えを共有しておくことの必要性を感じました。

(後半へ続く)

 

 

photo:Mitsutoshi Nakamura