今日は、震災一週間後から現地入りしたスタッフ、上野祥法の報告から、石巻市の現状をお伝えします。
石巻では、電気、ガス、水道などのインフラがすべて破壊されました。町は日が暮れると真っ暗になります。ピースボートが支援をはじめて3週間、震災から約 1カ月たち、ぽつりぽつりと電気が戻り始めた地域もありますが、沿岸部と市の中心部はいまだに真っ暗です。電気のない真っ暗な夜は、炊き出しも難しい状況 です。現在、自衛隊が毎日約8000食、ボランティアが1万2000~2万食を提供していますが、まだまだ足りません。
石巻市は、石巻市は人口18万人の都市でした。市内に家屋が12万8千戸ありましたが、地震、津波の被害で全壊が4万4千、半壊3万4千戸以上。つまり、12万戸の家のうち、約8万戸が全壊もしくは半壊の被害を受けています。海からあがってきた土砂が厄介で、復興の妨げになっています。家々を訪れて泥のか きだしと瓦礫撤去をするのも、ボランティアの仕事です。
photo: Yoshinori Ueno
ピースボートは、石巻専修大学キャンパスにボランティアのテント村を作っています。石巻市ボランティアセンターと場を共有し、連携しながら活動を続けています。
先日、石巻市の青年会議所と、現地を訪れているNGO・NPOで構成する「石巻市災害復興支援協議会」が発足しました。ピースボートが現地入りした頃には 20人しかいなかったボランティアも徐々に増え、現在では支援活動に関わる40団体以上が連携しています。定例のミーティングで情報共有し、ニーズの調査 結果や物資の届きにくい地域への配布、炊き出しスケジュールなどが話合われています。
4月5日夜には、ピースボートの現地責任者の山本隆が亀山・石巻市長と会談。今後のボランティアと石巻市の連携等に関して打ち合わせをしました。ap bank小林武史さんも同席し、震災から25日たった今、被災者への炊き出しの安定した提供について意見交換をしました。(★ap bank石巻支援プロジェクトについてはこちら: http://www.apbank.jp/fundforjapan/volunteers/ )
以下、写真レポートです。
石巻に入ります。夜通し走り、眠気に支配されつつある僕らを、朝焼けに浮かぶ山々が迎えてくれました。
門脇地区。市内でも被害の大きい場所の一つです。奥に見えるのは小学校。この辺りでは火災の発生も確認できます。
ピースボート炊き出し隊は、黄金浜、雄勝、永厳寺、三ッ股地区など、石巻市の各地で活動中。こちら、炊き出しの責任者・草薙シェフ。震災後、オーストラリアから駆けつけてくれました。PBの船で腕を振るっていただけに、一回に1000食の調理は楽勝。ベネズエラからの援助物資イワシ缶を和風の煮物にアレン ジ中。
本日の炊き出しランチ。ベネズエラの救援物資のイワシ缶、いったんお湯で油抜きして大根と煮込みました。醤油、みりんで甘辛く炊いた煮物は白いご飯を呼びます。被災下ではじめての魚メニュー。旨い。
家族の分の食事を、援助物資の入っていた箱を使ってデリバリーする小さな女の子。電気、ガスがまだ不通だそうです。
震災直後から、「迷惑ボランティア」という言葉が一人歩きし、助けになるなら現地に行きたいと思っている人でも「自分が行ったら邪魔になるのではないか」と躊躇していることが多いです。
現地に入って3週間。いまだに深刻な人手不足で、ボランティアが確実に必要であることは間違いありません。3日でも週末でもいい。できれば1週間調整してぜひ来てほしいという現地の声があります。
個人で来る方もいるし、それも石巻では受け入れています。個人ボランティアは、社会福祉協議会のボランティアセンターで募集しているので、ホームページを見て、来てください。(★石巻市社会福祉協議会: http://www.k5.dion.ne.jp/~i-shakyo/)
ただし、社会福祉協議会も手いっぱいで動いていることは間違いありません。「現地に迷惑をかけないように」と考えるかたは、ぜひチームで活動できるボランティアを自ら組織しているNGO・NPOの活動に参加してください。ピースボートはそのひとつです。
明日も、明後日も、数カ月でも、石巻の人々に安心して明日を迎えることができる環境が整うまで、ピースボートの活動は続きます。
人手も資金もまだまだ足りません。
ぜひ、ご協力をよろしくお願いいたします。