ピースボートのボランティアには日本人だけでなく、在日外国人や、海外から来日した様々な国籍の方も参加しています。今回紹介するのはスリランカから来 たボランティアチーム。スリランカは、2004年のスマトラ地震の際にやはり大津波の被害にあいました。そんな彼らはこう言います。「津波の被害は同じ。 僕らは同じ経験をしているから、被災者たちがどのように困っているかがよくわかるんだよ」
スリランカチームは、リーダーのウィッキーさん率いる15名で来日。スリランカ政府災害管理省職員で構成される復旧支援チーム。出身地はばらばらです が、重機オペレーター、電気技師、通信兵、シェフ、ギターや太鼓の達人など、どんなシチュエーションにも対応できるようにと選ばれた精鋭チームです。ま た、外務省スタッフ1名と、通訳ボランティア2名が同行しています。
彼らは2004年のスマトラ沖地震での津波被害の復興作業を手がけました。ウィッキーさんにそのときの被害と日本での被害の違いについて尋ねると、「津 波の被害はまったく同じ。僕らは前に同じ経験があるから被災者たちがどのように困っているか、どのようにしてほしいのかがよくわかるんだよ」と言っていま した。
本日訪れたのは石巻市中浦一丁目にある大森さん宅。大森さんは地震がおさまってすぐに施設にいる家族を車で迎えに行っていました。戻ろうとしたところ、家が津波によって1階の天井近くまで浸水していたことを知り、愕然としたそうです。
大森さんは瓦礫撤去の申請をしていましたが、倒れた倉庫があるなど、被害状況がひどく、ボランティアでは対応できないと一度断られていました。しかし、屈強なスリランカチームが来たことでようやく撤去が実現することになりました。
まずは作業場所にスリランカの国旗と日本・スリランカ友好の旗を掲げてから作業開始。家の前に積まれた瓦礫の奥には、隣のお宅から塀を越えて流れてきた 倉庫が斜めに固定されています。まずは瓦礫の撤去から。一輪車で積み出しても積み出してもまだまだある瓦礫。流された絨毯に積み上げて一気に瓦礫収集ス ペースへ運び出し、作業の効率化を図ります。
そして懸案の倉庫移動。倉庫のなかには、使われていなかったタンスや洗濯機、さらに泥水とともに流れ込んだ生活用品までありました。これらをひとつひとつ取り出していき、動かせる重さになったところで、全員で倉庫倒しに取りかかります。
リーダーのかけ声「ALL TOGETHER(いっせーのせっ)!」。見事に倉庫は動き出しました。こうして7時間かけて積まれていた瓦礫、倉庫はすっ かり取り除かれました。建築会社を経営する大森さんはこう言います。「これまで被災したお客さんの家を優先して片付けてきました。家は泥水で湿った状態で 放置しておくとダメになってしまう。我が家ももう駄目かと思っていたが、きれいになった家を見て、またここでやり直そうという気持ちになりました」
翌日には東京から在日スリランカ大使も駆けつけ、避難所の湊小学校にてスリランカ音楽のコンサートも行いました。大使は挨拶でこう語りました。
「スマトラ沖地震の際に一番早く駆けつけてくれたのは日本の医療団だったことをよく覚えています。早く恩返しがしたいと思っていました」。彼らの石巻での 支援活動はこれからも続きます。今後は日本の人たちにとって、スリランカが熱心に救援してくれた、忘れられない国となることでしょう。