ブログの写真を担当していたカメラマンの中村充利と言います。
個人的なものですが、ひとつエピソードを紹介させてください。11月、「仮設きずな新聞」の配達ボランティアの様子を取材するため、仮設支援チームのメンバーに同行してある仮設住宅を訪れた時のことです。
毎回、新聞を受け取ってくれていた70代ぐらいのご夫婦のお宅で、
「いつも御苦労さま。部屋に上がって少し休んでいってください。」
と奥さんが声をかけてくれました。お言葉に甘えることにしてボランティアの男性と二人でお邪魔し、温かいお茶とお菓子をいただきながら、お話し好きのご主人が色々なお話をしてくれました。
津波で家を流されてしまったこと。
震災当時の変わり果てた街の様子。
たまに顔を出してくれる息子さんの子ども時代の話。
時間はあっという間に過ぎていきました。
その中でご主人が以前、水産関係の仕事で大型船舶に乗り、海外を回っていたというお話がありました。
「スエズ運河やパナマ運河も何度も通ったんだよ。初めて経験した時の感動はすごかった。でも、その時の写真は全部流されてしまって・・・」と。
津波の恐ろしさ、大切な思い出をも失うやるせなさを改めて感じると同時に、「スエズ運河」という言葉に、以前自分がピースボートの地球一周の船旅に同行し、何度か通ったことのあるあの景色が脳裏に浮かびました。
その日は時間の都合もあって、ご馳走になったお礼だけを伝えて帰りました。宿泊場所に戻ってパソコンを開くと、運良く当時自分がスエズ運河で撮影した写真が残っていました。「この写真をプレゼントしたら喜んでくれるかな?」そう思うと、頭の中からそのことが離れなくなりました。
結局、翌週に再度お宅を訪問、額に入れた写真をお渡ししました。ご主人は、ピースボートの船(オセアニック号)の大きさや船籍、どの場所から撮影したのかなど、さすが元船乗りだけあって興味深々。喜んで写真を受け取ってくれました。
もちろん、自分が渡した一枚が流されてしまった写真の代わりにはならないかもしれません。それでも、家の中を彩る飾りのひとつになり、ご家族の間や来客時の話のネタにでもなるのであれば、僕自身も、あの一枚の写真も充分幸せです。
そんな、小さな出会いをくれた「仮設きずな新聞」。きっと、こういう出会いの積み重ねが、ボランティアと被災者の方々の絆を生んでいくんだろうな、と思いました。
All photos by Mitsutoshi Nakamura