【西日本豪雨から1年】ボランティアが運んでくれた七福神

1年前のあの日を境に生活が一変しました。
岡山県倉敷市真備町にある小野さんのご自宅は、歴史ある日本家屋。川の堤防沿いにあり前面には田園風景が広がっています。遠方にある山々は緑が深く茂り、日本の原風景を感じさせます。

 

あの日の雨はそこまで強い雨だと感じていませんでした。しかし、ひとたび堤防が決壊した後は、みるみるうちに水かさが上がってきました。慌てて二階に避難しました。二階に避難した後も水かさは上昇し、胸の位置でようやく止まりました。手に持っていた携帯も、何から何まで水没してしまいました。その晩は、畳や家具などが浮かんでは壁や天井にぶつかる音を聞きながら過ごしました。消防のボートに救出され、外に出た時に広がっていたのは、一面湖のような光景でした。自宅の周りだけではなく、地域全体が水没していました。

 

 

親戚の甥の家に身を寄せて、避難生活が始まりました。水が引いてから自宅の様子を見に行った時、土砂や水没した家財や畳などが入り乱れて、到底入れる状況ではありませんでした。やっとの思いで取り出せたのは、仏壇にあったお位牌でした。

 

 

 

 

夏の猛暑の中、親戚やボランティアの手を借りながら、水没した家財を運び出しました。みなし仮設住宅に移り住むことができたものの、元々住んでいた地域で生活したい思いが募ります。家を修繕して、再度住むことを決意しました。しかし、自分たちだけはで到底無理でした。すがるような思いで災害ボランティアセンターに連絡し、駆けつけたのはPBVのボランティアでした。

 

 

 

 

 

一生懸命作業をするボランティアは、七福神に見えました。ボランティアと共に作業を進め、少しづつ家が綺麗になるうちに元気をもらうことができました。時には海外からのボランティアも清掃活動を手伝ってくれました。そして、リフォームをお願いする大工さんとも出会うことができました。ボランティアの清掃活動が終わって、これまで家を支えていた木材も大切に活用しながらリフォームが着々と進んでいます。

 

 

 

 

 

 

小野さんからボランティアに関わった皆さんへ
「自分らしく、今までの生活を10年は続けられるといいな。お金じゃない価値がここにはあります。人の笑顔と笑い声が集まるときっと家も喜んでいると思います。あの惨状で、その同じ場所で今は明日が見える。ボランティアの方々の温かい心と支え合いの人々の手がなくては実現しなかったことです。本当に感謝申し上げます。また会える日を信じて」