街のシンボルとなっているアイプラザ(石巻健康センター)の近くに、「春潮楼」(しゅんちょうろう)という老舗の割烹料理屋があります。春潮楼7代目の女将である佐久間生子さんが、私たちにこんな話をしてくれました。
泥かき作業をしているボランティアが、家主から様々な話を聞かせてもらうことがあります。今日はそんな中から一つのエピソードを紹介します。
「春潮楼」(しゅんちょうろう)は、安政2年(1855年)に創業したという伝統のあるお店です。お店の一階は津波で壊滅してしまいましたが二階は無傷 で、80畳の大宴会場がそのまま残っています。春潮楼の女将さんは、一人でお店に戻るのは怖いし、津波のこと思い出すから嫌だったけれど、ピースボートが いてくれるから、という理由で避難所から戻ってきたとのことでした。
「自分の命は生かされてる命だとしみじみ思っています。この命を無駄にしないために、ピースボートさんの気持ちに応えたいんです。だからどうか遠慮しないでうちの店を使ってほしい」
そう言ってくれた女将さんの協力で、第6回ボランティアのうち、42人が春潮楼に宿泊させていただいています。
女将さんは、津波のときお店の三階に逃れて助かりました。三階からは、流れていく人の姿や、助けを求める声を聞いたそうです。助けを求める人には、「こ こまで辿りついてください!」と叫んだものの、波と風と雪の音に、その声はかき消されてしまいました。それでもどこかから流されてきた人が自力でよじ登っ てきたので、女将はずぶぬれのその人に、カーテンをはがして毛布代わりにするなどの対応をしたと言います。
その後、女将さんは、ピースボートが石巻にやってくる前日まで避難所で暮らしていました。
「今でも夜は毎晩のように津波の夢を見るんです。津波に襲われて、ああもう呑まれる、駄目だ!と思う瞬間に目が覚めるんです。起きても目の前は瓦礫の山だ し、気持ちは沈んでめげるばかりでした。でもピースボートさんが町中のあちこちにいてすごい勢いで泥かきしてくれる姿にものすごく元気づけられて、勇気が わいてきました。先を見ると暗闇しか見えないのだけど、私はもう先の暗闇を見るのやめました。暗闇を見ないで、目の前のピースボートさん見ることにしまし た」。
そう語ってくれた女将さんの希望のためにも、この街の復興のために一日一日、力を尽くしていこうと思います。