石巻の語り部 萬代好伸さんより [第四章 その1]

第四章 東日本大震災からの教訓 その1

 

 

平成23年3月11日、東日本大震災は、多くの大切なものや人々の笑顔、そして尊い命を奪い去って行きました。

これまでにない未曾有の出来事に、我々は成す術なく、茫然とするばかりでございました。

突然の出来事に、多くを失いましたが、その反面に多くの事を学んだのも事実でございます。

震災から自分が学んだ事と言えば、やはり人の命の尊さと、その尊い命をどう守るかでございました。

多くの人々が、黒い波間に消えて行く現実に、過ちを繰り返してはならないと思いました。

寄せては返す波に、亡骸がもて遊ばれている現実に、二度と過ちを繰り返してはならぬのだと、強く感じました。

 

石巻地方に於いては、残念ながら、津波で五千人を越える人々が、尊い命を奪われてしまいました。

被害が大きい地域の中で、一番波の高さが低かったにもかかわらず、一番多くの犠牲者を出してしまいました。

何故多くの人々が、犠牲となってしまったのでしょうか??

それは、結論から申し上げますと、”逃げる行為を取らなかった” そんな人々が多かったからです。

何故逃げる行為を取らなかったのでしょうか??

それは、人が多く住む市街地の人々は、過去に津波被害を受けた事がなく、津波は来ないだろうと考え、万が一来ても冠水する程度と、決めつけていたからだと思います。

実際に寄せた、5メートルを越える波は、自宅2階へと避難していた人々を、家もろとも押し流し、有無を言わせぬままに、沖へ沖へと流し去って行きました。

そのほかにも、遊戯場にて楽しく過ごしていた人々も、出入口の自動扉の前に、折り重なっていたと聞きます。

もしこの人々が、いち早く逃げてさえいれば、大半の命はきっと助かったと思います。

こんな事になるのなら、早く高台に逃げて置けばよかったと、きっと後悔したに違いないでしょう。

この世に未練を残しながら、きっと無念の想いでこの世を去って行ったと思います。

こうして石巻の多くの人々は、逃げる行為を取らずに、黒い波間に消えて行ったのでございます。

そんな石巻と違い、女川・南三陸・気仙沼など、東側に面した地域の人々は、逃げる行為を怠りませんでした。

女川に於いては、行政が避難場所と指定する、町立病院の駐車場に大勢の人々が避難していたと聞きます。

しかし、高さ15メートルを越える高台に建つ、町立病院の1階部分にも、津波は背後から浸入して来たと聞きました。

逃げる行為をきっちりと取ったにも関わらず、駐車場に避難していた人々は、後ろから来た波に、押し流されてしまったと言います。

やっとの思いで高台に逃れ、襲い来る津波を、やり過ごそうとした、矢先の出来事だったでしょう。

きっと悔し涙を流しながら、屈辱の想いで亡くなられたと思います。

このように女川はじめ、石巻市北上町の総合庁舎、南三陸の防災センターなど、行政が指定する避難場所が、今回の震災で被災してしまったのです。

 

自分はこの震災前まで、報道や行政が発する “想定” を鵜呑みにして来ました。

そして自分たち宮城県に住む者は、近いうちに大きな地震が必ず来ると、予測していました。

昭和53年6月12日に発生した、宮城県沖地震の震源域で、近いうちに99.9%の確率で必ず来ると予測し、待ち構えていたのでございます。

しかし今回発生した東日本大震災・・・!我々にとって、余りにも大きかった・・・!余りにも・・・!

そして我々が抱えていた、災害に対する認識・知識・・・!余りにも小さかった・・・!余りにも・・・!

我々の予測や認識・知識、国や行政の想定やマニュアル等が、”何の役にも立たなかった” と、自分は思います。

自然災害に於いて、決して人間の思う通りにならぬのだと、知る事こそが、今回の東日本大震災からの教訓だと自分は思いました。

今回の震災だけが、災害では決してありません!

発災から3年を経る間に、日本中で様々な種類の災害が発生しています。

それらの災害は、発生する地域によって、退避する場所や、避難するルートなどが、全く違って来るものと、知らなければなりません。

その場所場所で、”逃げる方法” が違うと言う事です。

決して自宅や職場、通勤通学ルートだけで被災する訳ではなく、出張や観光と言った、見知らぬ土地で被災するかも知れません。

場所や災害の種類によって、逃げ方が全く違うと言う事を “知る” 事が、この災害王国日本には、必要なのだと思います。

今回の東日本大震災からの教訓として、自分が学んだ事は、決して “想定” を鵜呑みにせず、”自分の命は自分で守る” 事を “認識する” と言う事!

更には、災害にはどんな種類のものがあるのか?そしてその災害に対し、どこにどう避難するべきか?などの、”知識を得る” と言う事!(この “知識を得る” 中には、災害が発生する季節・気象・時間帯などの、膨大な数のパターンを知る必要がある)

そして更に、災害はいつ来てもおかしくない事を踏まえ、”常に意識する” と言う事です!

認識・知識・意識!

自分はこの3つの “識” を、震災から学びました。

これを “尊い命を守る” 第1の教訓とし、周囲に伝えて行こうと思います。

 

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第四章 その2 に続く