【フィリピン台風】 ビリラン島の現状

先日のブログでもお知らせしましたが、PBVでは次のフィリピン台風災害救援として、ビリラン島で被災された方々への生活再建プロジェクトを行います。ビリラン島南部は台風が通過し、家屋倒壊などの被害を受けたものの、支援対象としてほとんど認知されていませんでした。今日は、ビリラン島の現状とともに、国連を含む国際援助の現状をお伝えします。

 

ビリラン島は、レイテ島・サマール島の中間、東ヴィサヤ地方にある人口約16万人の島です。海やビーチ、山から流れ出る美しい滝など、普段は豊かな自然に囲まれたのどかな環境です。火山島のため、温泉もあります。

 

レイテ島と橋で道路がつながっているので、人の移動や物資の搬送はレイテ島を経由しながら車で行うことになります。被害の大きい南西部では、いまもインターネットや電話などの通信環境が復旧していません。現地スタッフはPBV本部や他団体との連絡をするにも、島の西側に位置し大きな被害を免れたNavalまで移動せざるを得ない状況です。

被害状況や支援対象となる世帯の確認などのため、現地スタッフは南西部にあるCAIBIRAN、CABUCGAYAN地区のバランガイ(日本で言う町・村など)を回っています。PBVとしては、住む家を失った全壊・大規模損壊世帯に対して、キッチンセット(皿・コップ類、やかんやフライパンなどの調理道具など)を届ける予定ですが、もちろん屋内での生活環境、つまり家の修繕や建て直しのタイミングと合わせて実施する必要があります。

また、発災からずっと休まず復旧の努力を行ってきた住民の方にとって、家族と過ごすクリスマスや年末年始は本当に大切な時間。早く届けてあげたい気持ちもありつつ、現地バランガイの職員の皆さん、プロジェクト・パートナーであるCWS-Asia/Pacific、PDRRNのスタッフとも状況を随時相談しながら、年内・年明けのスケジュールを組んで動いています。

 

 

今回の災害救援には、海外からもたくさんの支援が集まっています。しかし、日本のような先進国はもとより、フィリピンなどの新興国でも、各国や国連に支援要請を出すのは非常に珍しいこと。復興の主体となるのは地元の住民なので、いつかその場を離れる「よそ者」に任せるより、その国やその自治体のルールで対応できるほうが望ましいのは当然のことです。ピースボートでも、過去フィリピンの台風被害に対して支援を行った経験がありますが、基本的には自分たちが前面に立つのではなく、現場で活動するフィリピン国内のNGOを後方からサポートしてきたのはこのためです。

ただ、今回の災害の規模は、その対応能力を越えていました。フィリピン政府からの支援要請を受けた各国の軍や医療チーム、UnicefやWFPなどの国連機関、そして赤十字や国際NGOなどが現地への出動を決めました。「被災者救援」という目的を同じくする仲間ですが、登場人物が多ければ、支援の偏り・アンバランスが生まれがち。その調整を行っている一つが、「水と衛生」「シェルター・避難所」「健康」「教育」「早期復旧と生活再建」などの12のテーマが分野別に行っている「国連クラスターミーティング」です。



上の資料は、UNOCHA(国連人道問題調整部)がまとめた被害状況。UNOCHAは、毎日のように「Situation Report」を発表し、国連機関やNGOの動きを全体共有しています。

 

この写真は、タクロバンで12月2日に行われた国連クラスターミーティングで使われていた資料。バランガイごとに区分けされた地図に、被災者数や物資配布の計画と報告が書き込まれていますが、まだ計画すら「ゼロ」のバランガイがたくさんあります。「タクロバンに報道と支援が集中している」というのは事実ですし、そこへの批判の声も聞いたりします。ただ、もっと大切だと感じたのは、そのタクロバンでさえ被災者数に対する支援が足りていないこと、「ゼロ」の地域に対して動ける団体の数が不足している事実です。支援の「分母」を増やすことが先決なんだろうと思います。

 

また、たくさんの島で構成される被災地のため、この国連クラスターミーティングは、島=州を単位に開かれています。レイテ島はTacloban(タクロバン)とOrmoc、サマール島はGuiuan、セブ島はCebu、パナイ島はRoxas、ミンダナオ島はDavao CityとCotabato Sub-Officeといった主要都市がその開催場所です。

ではビリラン島はどの会議で話題になるのか?というと、ここにはありません。もともとはレイテ州の一部でしたが、1992年にビリラン島は独立した州になりました。そのことが国際的には認知されておらず、また州の規模からも、国連が主導する支援の対象とみなされていません。先ほど紹介したバランガイごとの被害と支援をまとめた地図すらないということです。

 

 

「NGO」という言葉は、国連の中で生まれました。その背景には、大きな大動脈の支援を行う国連や国レベルでは対応できない現場があり、それを自分たちで見つけ、解決していく草の根の市民グループの存在が大切だという意識があります。その意味でも、今回のビリラン島での活動はNGOにしかできないことなんだと思っています。

この1ヶ月、ビリラン島の住民は自分たちの力で限界まで耐え忍んできました。そして、生活再建には、まだまだ何ヶ月も時間がかかるでしょう。少しでも力になりたいと思っています。

 

 

※たくさんの方々に募金や寄付でご協力いただいています。そのおかげで、食料・食事やヘルスケア用品などを届けることができました。本当にありがとうございます。ただ、まだこれから実施するビリラン島でのキッチン用品の購入や輸送にかかる費用全体をカバーできる金額に達していません。ぜひ、ご協力をお願いします。

● フィリピン台風30号災害 救援募金は コチラ