主なホヤの産地は、青森・岩手・宮城。そのうち宮城では7割のホヤが水揚げされていました。その宮城県内へホヤ天然種苗の約90%は、鮫浦湾沿いの石巻市谷川や鮫浦から供給されていました。今日のレポートは、その鮫浦湾谷川からお届けします。
津波で山肌がえぐられ、堤防が破壊されてしまった東北沿岸部は、いまだ仮の応急処置がされたまま。地盤のかさ上げが必要とされた地域の工事完了には、5~10年という時間が必要と言われています。
何年も何十年も腰を据えて生業を行うための本格的な建物が建つのは、その先ということになります。震災の影響を抱えながらも、浜で暮らし続けるには、その間も漁業で生計を立てていくしかありません。
もちろん新しい土地に移り新しい仕事を探すという選択を選ぶ人もいますが、それも一から漁業や養殖を再開するという選択と同じぐらい大変な選択なんだろうと思います。ピースボートの漁業・浜支援は、そんな厳しい状況の中でも、浜の再生を心に決めた方々を支えようと活動してきました。
牡鹿半島に位置する谷川は、種ボヤを育て全国に出荷してきた浜で、文字通り日本の食卓を支えてきました。私たちが口にしてきたホヤも、この海で育ち、全国の海へ運ばれて育てられてきたものがたくさんあるはずです。
たくさんのホヤを育てるため、延縄式で養殖が行われます。写真は養殖イカダ。
海に沈めるのは、牡蠣殻に紐を通し数珠繋ぎにしたからっこ刺し。
昨年沈められ半年ほど経った種ボヤを見せていただきました。大事に育てた種ボヤが津波でダメになり、昨年はまったく収穫できませんでした。今年も限られた資材での養殖、見込みは例年の1/5ほど。種ボヤの段階でも出荷するだけでは将来に続かないので、親ボヤの数を確保しながら種ボヤを育てます。
牡蠣殻に付いたホヤが目で確認できる大きさになったら、ホヤ養殖漁業者に出荷します。ホヤ養殖業者は、種ホヤの付いた牡蠣殻をまた養殖イカダに垂下させ、2~3年経った成体がようやく水揚げされます。
谷川のホヤ養殖のためのからっこ刺し作業には、今年5月からのべ673名が参加。目標数の4万5千個のからっこ刺し完了までは、やっと折り開始地点に差し掛かったところです。
それでも、逞しく、少しずつ育っているホヤの子どもたちの存在が、未来への元気を与えてくれます。大きく育ったホヤの姿を想像しながら、漁師たちとボランティアは今日も牡鹿で作業を続けます。
photo: Shoichi Suzuki