【国連防災世界会議レポート】 市民防災世界会議編

各国の代表が集まり、今後15年間の国際的な防災目標を決める本体会議は、いわば「公助」の役割を話し合った会議。もちろんその中でも民間企業やボランティア団体との連携について触れる場面はありましたが、災害時の「自助」「共助」を担う市民自らが主体的に作り上げたのが「市民防災世界会議」です。

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日本開催の防災世界会議ということもあり、104団体が集まった日本の市民ネットワーク「JCC2015」が主な企画運営を担いましたが、地球市民社会のための防災ネットワーク(GNDR)アジア防災・災害救援ネットワーク(ADRRN)ホワイロー委員会という3つの国際NGOネットワークや、仙台・東北の地元団体の皆さんにも多くのご協力をいただきました。

過去3回の国連防災世界会議でも初開催となった取り組みでしたが、新聞やテレビでも大きく報道され、4日間を通して国内外1,500名以上が参加。東日本大震災や様々な被災地で災害支援、平時の各地域で防災・減災に取り組む市民が一堂に会し、自分たちがこれからやるべき実践例のヒントとつながり、そして元気を持ち帰ることができたのが大きな成果だったと思います。

●会議プログラムは コチラ (PDF/4.4MB)

 

●3.14~3.16 テーマ別セッション

「市民防災世界会議」は、3日間のテーマ別セッションと最終日のメインイベントという、4日間連続の企画構成。テーマ別セッションは仙台市市民活動サポートセンターを会場に、パブリックフォーラム「市民協働と防災テーマ館」の特別企画として、1日3本のセッションに本体会議レポートや懇親会を加えた計12本の企画を行いました。

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各セッションにはそれぞれ担当の団体が付き、登壇者や企画スタイルの準備・調整に当たりました。国連本体会議では取り上げられないような具体的な地域の事例であったり、成功モデルだけでなく失敗や課題についても積極的に意見交換する場だったように思います。

例えば、神戸、東北、インドネシア・アチェからの語り部のセッション。本体会議の閣僚級ラウンドテーブルなどでは各国代表団や研究者、NGOの代表らの発言はあっても、被災当事者自らが発言機会はほとんどありません。「災害時要援護者」について話し合ったセッションも、障がい者、高齢者、女性といった行政が指定する定義だけでなく、LGBTや難民といった社会的マイノリティーの事例まで同じテーブルに乗せて議論するようにしました。

また、本体会議に限らずパブリックフォーラム全体を見回しても「大災害」のテーマがほとんどでした。少子高齢化が進む日本の地方都市や、貧困問題と隣り合わせの途上国のNGOや住民の声に耳を傾ければ、何十年に一度の災害だけでなく、年々対応が難しくなる水害や土砂災害などの「日常的災害」が目の前の課題です。現場で知った課題をきちんと取り上げることが、テーマ別セッションの大きな役割でした。

 

-3月14日- 日別テーマ「世界と防災」
・セッション(S)1:市民防災世界会議オリエンテーション
・S2:2015年 開発・環境・防災が出会う年
・S3:防災・減災をシフトする。~気候変動と社会の変化~
・国連本体会議レポート

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-3月15日- 日別テーマ「復興と防災」
・S4:世界と日本の語り部と考える“復興”
・S5:日本の災害復興① ~国内の大規模災害からの復興を振り返る~
・S6:日本の災害復興②防災・減災をシフトする。~気候変動と社会の変化~
・関係者・参加者懇親会

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-3月16日- 日別テーマ「ダイアログ」
・S7:コミュニティ・レジリエンス ~東日本および各国の事例から~
・S8:地域力を支えるコーディネーション
・S9:多様性と災害対応 ~障がい者・LGBT・ジェンダー・外国人の視点から~
・国連本体会議レポート

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●3.17 メインイベント

最終日のメインイベントは、会場を移して東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)の大ホール。扱うテーマは災害という辛く悲しいものであっても、そこから立ち上がり、手を取り合って前向きに防災・減災に取り組もうというメッセージを込めて、盛りだくさんの内容となりました。

 

道具や稽古場まで流されながら、支援を力に変えてきた石巻の伊達の黒船太鼓。この日のために片道5時間かけて、地域の伝統を披露してくれた大槌町の臼澤鹿子踊。180人という大人数かつ障がいも年齢も国籍も乗り越えた合唱・映像・ダンスパフォーマンスを見せてくれた仙台のアート・インクルージョン。東日本大震災震災を乗り越えて伝承されるパフォーマンスの数々は、言葉の壁を超えて大きな感動を呼びました。

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「仙台防災枠組」の達成期限を迎える15年後には、防災・減災の第一線で活躍しているであろう東北の若者、この会議を機にUNISDR(国連国際防災戦略事務局)の世界防災キャンペーン「災害に強い都市の構築(レジリエントシティ・キャンペーン)」に加盟した多賀城や、原発事故後にはPBVの福島子どもプロジェクトでもご協力いただいている南相馬の市長からもメッセージもいただきました。交渉が難航する本体会議から、国連側の責任者であるマルガレータ・ワレストロム国連事務総長特別代表が駆けつけてくれたのも、この一年間のJCC2015への信頼とこれからの市民力に対する期待があったからです。

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対談やシンポジウムでは、これからの「市民防災」の役割を話し合いました。日本は「防災先進国」と言われながら、長い間、世界との歩調を合わせてくることができませんでした。国は「防災主流化」を目指すと言います。インフラなどのハード面だけでなく、ボランティアやコミュニティでの住民の取り組みなどソフト面での防災主流化は、CSOや市民が積極的に動くことで広がっていくノウハウです。

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4日間に渡る市民防災世界会議のフィナーレは、「市民防災世界宣言」の発表。「ピープルズ・パビリオン」「市民協働と防災テーマ館」「女性と防災テーマ館」それぞれで集まった800以上の一つひとつのメッセージをつなぎ合わせて作りました。

国連本体会議で決まった「仙台防災枠組」が15年という短期間の目標であるのに対し、市民防災世界会議で発表された「市民防災世界宣言」は1,000年という次の世代、その次の世代、さらにその先の世代にまで続いていくメッセージになりました。このこと自体が、市民防災世界会議が参加者にとってどんな意味があったのかを教えてくれている気がします。

 

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最後に、「市民防災世界宣言 ~千年後に夢を込めて~」をご紹介します。

 

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市民防災世界宣言「千年後に夢を込めて」

あの千年に一度の大震災から4年が経ちました。わたしたちはたくさんのつらい思いをしましたね。津波に飲まれた車、家、人。今でも続く原発事故の被害。家族を探しにいって犠牲になった人。今でも見つかっていない人たちがたくさんいます。心から、早く見つかりますように。

それでも助かった命、大切にしたいです。苦難に負けない強さと思いやり、大きな助け合い、あの日の悲しみを繰り返さないように。あの怖さ、忘れずにどう活かすのでしょうか。冷静に命を守り、助け合って、乗り越える。今一度備えをしっかりと。

わたしたちは絶対に忘れない。だって、またくるから。だから忘れないで下さい。自然の前では人の力は弱いものですね。でもだからこそ、わたしたちの弱い力を集めて大きな力にするんです。

世界のみんな、ありがとう。本当にありがとう。たくさんの支援を頂きました。国境を越えて、人と人のつながりに心暖まりました。このきずな、大切にしたいです。

だから、わたしたちは助け合います。毎日の小さな決断に思いやりの心をつむぎます。みんな一人一人が意識をもって備えて、協力するのです。だって、本当に大変な時、助け合いで生かされたから。

わたしたちは絶対に忘れない。

わたしたちは立ち直ります。見ていて下さい。災害は忘れた頃にやってきます。いつも笑顔で暮らせるように、常に防災を意識して、次の世代へ知恵を、記憶を、語り継ぎます。「あわてず、落ち着いて行動するんだよ。」だから普段の心構えと、災害にあっても負けない心を育むのです。助け合って、まちづくり、ひとづくり。絆を、思いやりを深く、見えないものに頼り過ぎないように。

 

 

・【国連防災世界会議レポート】 本体会議編は コチラ
・【国連防災世界会議レポート】 パブリック・フォーラム編は コチラ

photo by Mitsutoshi Nakamura, Shoichi Suzuki, Kazushi Kataoka