【代表理事インタビューVol.1】 阪神・淡路大震災から20年~災害ボランティアは成人になれたのか?!~

 

本日(1月17日)で阪神・淡路大震災から20年が経ちました。
1995年、阪神・淡路大震災に関わったボランティアは130万人にも上ると言われ、その年は「ボランティア元年」と呼ばれるようになりました。「ボランティア元年」から20年を積み重ねてきた災害ボランティアは、どのように発展したのでしょうか。

20年前、兵庫県神戸市長田区で災害支援に関わり、また東日本大震災の緊急期でも現場の指揮を取ってきたPBV代表理事 山本隆に聞きました。

 


 

Q:どのように阪神・淡路大震災に関わるようになったのですか?

 

もともと実家が兵庫県西宮市甲子園球場の近くにありました。阪神・淡路大震災が発生してから、電車を乗り継いでようやく実家にたどりついてみると、家の中の家財はメチャメチャになっていましたが、建物はなんとか無事でした。周りには半壊になった家もありました。ピースボートの仲間と共に自転車で被災地の視察を行い、想像以上に酷い光景が広がっていました。何か支援活動を行わなければならないと思い、支援方法を検討するために一旦東京に戻りました。

三宮被害状況11 三宮被害状況13

 

Q:その当時、ボランティアを受け入れる仕組みはありましたか?

 

後に「ボランティア元年」と呼ばれるようになりましたが、その当時はボランティアを受け入れるような社会的な仕組みはありませんでした。ボランティア希望者は活動情報や活動場所を求めて区役所に詰め掛けていましたが、区役所もその対応に苦慮していたように思いました。つまり、被災者が必要としているニーズとボランティアをマッチングするという仕組みが無かったのです。

その反省から、現在では、通常は地域福祉を担っている社会福祉協議会(以下、社協)が「災害ボランティアセンター」を開設しボランティアの受け入れを行う仕組みが出来ました。社協は全国全ての市区町村にあり、ボランティアの基本的な受け皿になっています。日本はどこでも災害が発生するリスクがあり、全国レベルでボランティア受け入れをカバーできる社協はとても大きな役割を担っていると言えます。海外をみてもそのようなシステムを持っている国は他にはありません。

しかし、通常業務もある中で社協が「災害ボランティアセンター」を運営するのは大きな負担になります。また、運営が上手くいくかどうかはその担当者や責任者の経験値やあり方に依存している面も否めません。

 

 

Q:どのような支援活動を実施したのですか?

 

1995年1月24日から火災による被害が酷かった神戸市長田区を中心に活動を開始しました。東京で募集したボランティアを派遣しながら、救援物資の配布や避難所運営支援、避難所への生活情報紙配布など行いました。

特に、長田区の全避難所(55箇所)に手渡しで配布していた生活情報紙「生活情報かわら版『デイリー・ニーズ』」は活動の中核となっていきました。その当時、インターネットはほぼ無く、被災者にとって情報源は、かろうじて区の広報や掲示板だけでした。生活情報を得る手段が圧倒的に不足していました。その為、ボランティア達が『デイリー・ニーズ』を避難所に配布しながら、紙面に掲載するための避難所情報、物資配布場所、お風呂情報、ボランティア活動情報などを取材し翌日には新聞として発行して配布していました。『デイリー・ニーズ』は毎日発行し、ピーク時には約10,000部を配布していました。

取材を各地で行なうことで結果的にボランティアへのニーズ集約をする機能となり、被災者からのボランティア依頼(ニーズ)の窓口となっていきました。そのニーズを、ピースボートだけで対応するのではなく地域で活動するボランティア団体や個人ボランティアへ情報共有し、協力を仰ぎました。呼びかけに応じていた人達と共に毎日夕方に「長田ボランティア・リーダーズミーティング」を行いました。そのミーティングが連絡調整や、ニーズとボランティアのマッチング機能を果たしていくことになりました。

長田ボランティア・リーダーズミーティング PB拠点_5

 

 

Q:長田区の『デイリー・ニーズ』と現在でも宮城県石巻市の仮設住宅に配布している『仮設きずな新聞』の活動は似ている気がしますが、同じような発想だったのですか?

 

手段としては似ていますが解決したい課題と目的が違います。『デイリー・ニーズ』は情報が足りない被災者に「情報を届ける」という目的で始まりました。また、届けて取材する過程の中でさらに情報が集まり、ボランティアとのマッチング機能に発展していきました。

石巻の『仮設きずな新聞』は、避難所から仮設に移行する時期でコミュニティ形成や繋がり作りが必要となり、新聞を配布するという手段を通して「人と人が出会う」つまり「ボランテイアと住民さんが出会う」ことが目的でした。そして現在では、各専門性を持った団体に編集メンバーとして関わって頂いているおかげで『仮設きずな新聞』の情報としての価値も改めて上がってきているように感じています。

被災地の現場によって、見えてくる課題は常に異なります。また、その課題も時間の経過と共に変化していきます。解決したい課題へのアプローチの方法がたまたま紙媒体であったということでしょう。場合によっては、足湯やお茶会、カフェなど様々な課題解決手段があり得ると思います。

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・『デイリー・ニーズ』縮刷版 P01~P25
・『デイリー・ニーズ』縮刷版 P26~P50
・『デイリー・ニーズ』縮刷版 P51~P75
・『デイリー・ニーズ』縮刷版 P76~P108

 

 

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【代表理事インタビューVol.2】

阪神・淡路大震災から20年~災害ボランティアは成人になれたのか?!~