漁業の復活を支援 牡鹿半島で漁具回収作業

今日はピースボートで行っている活動の一つ、漁業支援の様子をお伝えいたします。

ご存知のように、石巻市をはじめ今回の東日本大震災で被災した地域の多くは、豊穣な三陸の海に抱かれた日本有数の漁場でもあります。

甚大な被害を及ぼした今回の津波ですが、その中でも漁業及び水産加工業は壊滅的被害を受けています。

船も漁場も破壊されてしまった地元の漁師の方々の中には、廃業する方、続けようと決意する方、千差万別様々な選択がありますが、なんとか続けていこうと踏ん張っている方々に出会い、なにか僕たちに出来ることはないかと相談を続けるうち、津波によって散り散りに散乱してしまった定置網やロープ、ブイなどの漁具の回収をお手伝いすることに。

今では雄勝地域や牡鹿半島など、いくつかの地域で支援活動を行っていますが、今日は石巻市牡鹿半島にある「小網倉浜」の漁港で行った活動の様子をお届けします。

今日のレポートはいつもよりも写真を多めに使ってみました。

それではどうぞ!!

作業場所は、石巻市から車で1時間ほど走った牡鹿半島の中腹に位置する「小網倉浜」。

ここも他の被災地域同様、漁港を含む集落が丸ごと姿を消してしまっています。

小さな集落ゆえか、瓦礫の撤去もまだまだ行われておらず、とても4ヶ月が経たんとするとは思えない状況です。

到着後、地元の漁師の方から作業内容と注意点を伺い早速作業開始。

100mほど歩いて作業場所の漁港に入ると現れたのは・・・

「ドーン」と山と積まれた大量のロープ。

これは海の中で絡まっていたものをサルベージ船が引き上げて置いたもの。

絡まりあったロープには、瓦礫や木っ端なども混じっています。

このままではさすがに作業が出来ないので・・・

大きなクレーンで軽くバラしてもらいます。

山を崩して作業をしやすくしたら、ここからは人力の出番

みんなで、おりゃーっとロープをほぐしていきます。

と、文章で説明するのは簡単だけど、実は幾重にも絡まっていてホントに解けない

しかも、写真では分かりづらいかもしれませんが、現場は”超”大量のハエ

というのも、ロープの中にはこの漁港沖で養殖されている牡蠣やムール貝などが一緒になって入り込んでいます。

その腐臭と腐肉に寄せられてハエが大量発生しているのです。

作業のシンドさに加えて精神的なダメージも結構大きいこの現場。

それでもみんな文句も言わずひたすらに作業を進めます。

ここからの作業の様子はフォトギャラリーで紹介

とにかく今日は、ひたすらこの一連の作業を繰り返し。

それでもまだまだロープは残っています。明日も別のチームが入って引き続き作業を行う予定です。

そして、実はもう1チーム別行動で動いており、そのチームは網をほぐして破れた場所を補修するという作業にあたっていました。

聞けば、その直した網で明日から早速漁を開始するんだとか。

こんな風に、僕らがお手伝いしていることがすぐに現場の人の生活に直結すると知ってしまったからには、俄然気合も入ります。

それでは、その網をほぐす様子を少しだけご紹介。

上記の様な作業に加え、アンカー(錨)に絡まったロープを外す作業などもお手伝いさせてもらいました。

と、こんな風にみんなが作業にあたっている横で、地元の方々もなにやら作業をしています。撮影中も気になっていたので、作業がお昼休憩の合間にお話を伺ってきました。

上の写真にあるのは、「種牡蠣」の仕込み

ここには、ひとつ100mほどの牡蠣棚がおよそ300台ほどあったそうなのですが、その多くがダメになり、今はわずか15台ほどしか残っていないそう。

しかし、そんな被害状況の中でも、ごくわずかながら津波の被害に負けず生き残った種牡蠣たちがいたのです。

お話を伺った漁師さん曰く、

「これが残ってなかったらみんな辞めてた。新しく種を買うのもバカにならないお金がかかるからね。」

とのこと。

お話を聞かせてくれた漁師さん
お話を聞かせてくれた漁師さん

出荷できるまでどのくらい掛かるのか伺うと、

「普通なら2年くらいは掛かるけど、仕込んでる量も少ないから、その分栄養を吸収して成長するのが早くなるかもしれない。なんとも言えないけどな。」

との返事。

専門的なことは分かりませんが、こうして奇跡的に生き残った種牡蠣が、漁師さんたちの諦めない情熱を吸収して順調に育ち、また三陸の海が誇る牡蠣が食べられるようになることを祈るばかりです。

懸命に作業をする漁師さんたちの後ろには、大漁旗が風を受けてはためいていました。

最後は、今日作業にあたったボランティアのみんなの写真などを載せて報告を終わります。

さあ、明日も頑張ろう